2009年 08月 15日
手紙 |
S中佐の率いる第39飛行隊が徳之島の基地を出発したのは、午前10頃であった。
中佐が指揮官を務める隊は一式戦五機。
目的地は沖縄の西方洋上。
敵艦隊と機雷敷設艦の浮かぶ前線だった。
昨日まで続いていた曇天の空が今日は見事に晴れ渡っていたが、沖縄の方では春先のまだ不安定な空模様が続いているとの電信が入っていた。
S中佐は離陸後大きく左に旋回すると、徳之島の基地を見下ろし、直立不動のまま敬礼をする整備士たちに合図を送り、4機を率いて編隊を組んだ。
ここから沖縄までは140km近くあったが、一式戦「隼」の速度なら一時間もかからない。
予定では11時12分には目的地に到着する。
燃料がそれほど入っていない機体はいつもよりも明確に軽やかに反応した。
編隊は時おりS中佐の合図に合わせて、いくつかのフォーメーションを復習した。
離陸、30分ほど経った頃、S中佐はまばゆいばかりの日の光をうけて洋上に浮かぶ沖永良部島を遥か先にみとめた。
徳之島の基地に来る前、彼が訓練を受けていた帝国陸軍の航空隊で一緒になった男が沖永良部の出身だった。
S中佐は妙に無口で陰気なそのKという男となぜか仲良くなった。
ひとつにはただ単に他の人間達とあまり相容れなかったこともあるが、それよりもKが文学が好きで、よく太宰治や谷崎などの小説を好んでいたからだった。
S中佐はこどもの頃から機械いじりが趣味の父親に育てられ、電気や機械の仕組みには強かったのだが、その反面、なぜか本を読むことも昔から好きだった。
S中佐の育った場所では、本を読むなんて人間は金持ちのお坊ちゃんか、あるいはただ単に風変わりな人間しかいなかった。
東京の山の手あたりならそう言う人間も沢山いたのかもしれないが、少なくともS中佐のいた村ではそんな人間はごく少数、というよりほとんどないと言って差し支えなかった。
徳島の山奥に住んでいた彼でさえそうなのである。沖永良部島にすんでいる人間がどうしてそんなに博学なのかが不思議だった。
しかしS中佐はそんな考えが単なる偏見でしかないことに気づく。
彼の読書量は凄まじく、漱石からプラトンまで、およそ東西のすべての書物を読んでいた。
S中佐はすぐにKと仲良くなった。
一年後、お互いに別々の隊に配属されてからも彼らの交流は続いた。
S中佐はことあるたびに彼に手紙を書いた。
中佐の質問に年下のKが答える形でやり取りは続いた。
文学のこと、隊のこと、国のこと、この戦争のこと、そして家族のこと。
ある時、Kが手紙の中で普段はめったにしない家族の話をした。
自分が育った島の話。
おじいやおばあのこと。
そしてみっつ年下の妹のこと。
「いつか君を島に招待したい。そして僕の家族に会ってほしい」と、その手紙は結ばれていた。
中佐がKの戦死を知らされたのはその二週間後だった。
串良基地を離陸したKの菊水部隊は、宜野湾沖に停泊する米軍の艦隊に攻撃を仕掛け、隊は全滅。そして敵艦隊に多大な損害を与えたとのことだった。
中佐はその知らせを聞いた時、蒸し暑い格納庫の中にいた。
真空管ラジオからノイズまじりに聞こえてくる発表を聞いて、油にまみれたぼろ切れをその手に握りしめた。
眼下に広がるその島は、まるでこの世のものとは思えないくらい美しい光を放っていた。
岩肌は明るくまるい茶色をしており、透き通るような水がエメラルドグリーンの光だけを反射していた。
ゆるい入り江に、いくつかの集落が見えた。
あれがKのいた村なのだろうか。
編隊は速度を落とさずにそのまま島の上空を通過した。
島を通過して一時間も経った頃、空模様がゆっくりと崩れ始めた。
横殴りの雨と、突然の晴れ間をいくつかくぐり抜けながら編隊は方向を見失わずに飛び続けた。
S中佐はその水平線の先に連なるいくつかの影を見つける。
そして五機の編隊はまるで雁の群れのようにV字を組んだまま、高度を一気に海面すれすれまで下げて、速度を上げていった。
S中佐は左のポケットに手を突っ込み、左手で機械油で汚れたその手紙を握りしめた。
soundscape
by itr-y
| 2009-08-15 01:31
| 日常