2009年 12月 09日
Locked Out |
朝早く起きるようになった。
気になっていた他人の布団も、スーパーで安く売っていた布団カバーと枕カバーをかけてしまうと自分の寝床になった。
帰ってくると部屋に自分のにおいがする。
まだ一週間も経っていないのになんだか笑ってしまった。
備え付けのネットの速度が遅くて非常に難儀していた。重いページになると開くのに10分くらいかかってしまう。いったいいつの時代だ。
思えばいろんな人気ウェブサイトってけっこう動くバナーとか、画像はったりとかあれこれ情報が目白押しなのである。そういうサイトにしないと人が来ないからだが、ということは今ほとんどのネット環境はとても整備されて来ているということである。
仕方がないから近くにあるネットカフェでネットをやったりしていたのだが、寒々しいデスクと葛のツタみたいなLANケーブルがでているのみだった。
小一時間ほどやってカウンターの男に「いくら?」と訊くと、「もういいのか?」と返された。ネカフェでだらだらするのはどこの国も同じらしい。そういえば僕は日本にいたときもネカフェなんて行かなかった。
だってせっかく外出しているのにネットなんてもったいないじゃないか。
海外でやるときのために持って来ているノートにもちゃんとブックマークを移しておいたのだが、家でつないで日本で見ているのと同じサイトを見ていても仕方がないのである。そうなるとまあ必要なものぐらいしか見なくなる。メールとGoogleMapだ。
これだけは必要な情報なのである。
昨夜はベルリンに住む写真家の彼が僕の家を見にやって来た。
この部屋を借りるにあたって彼にはいろいろお世話になった。ここで暮らすために必要と思われることを彼はいろいろ教えてくれて、おかげで現地で使うプリペイドの携帯の申し込みまですることができた。
少しずついろんなものが整ってゆく。
あとは自転車とギターだな。
外を3歩歩けば写真を撮りたくなるくらいだったのだけれど、今ではなんとか気持ちが少し落ち浮いたと思う。あんまり高揚した気分で撮りまくっていても不審がられるだけなので少し自粛していた。それでも僕のライブラリは増え続けている。
ベルリンに来てまず驚いたことのひとつは、建物の造りである。
まず僕は自分のアパートメントに着いたとき、自分のアパートのドアの鍵の使い方がわからなかった。最初の表通りに面した大きなドアなどは開いたのだけれど、次に自分の部屋がわからない。
四方を囲んで中庭を作るようにして建物が建っているのだが、その四方にそれぞれいくつか階段があってその階段にどこを上れば自分の部屋があるのかがわからない。
下に大家のポストはあったのでその建物だということはわかっているのだけれど、その階段がいくつもあるのでどれだかわからない。
全部で6つか7つ近くもあるドアのいくつかを最上階まで上ってみて、幸運にも3つめで僕は自分の部屋を見つけることができた。よく見たら二番目のドアにも表札が出ている。早く言えよそういうことは。
だが今度はその鍵が開かない。
なにか手がかりがありやしないかといったんポストのある玄関ホールまで戻ろうとすると、今度はドアに鍵がかかっていて開かない。
すべてのドアが閉めると鍵まで閉まってしまうのである。
しょうがないから表通りのドアの鍵で開こうとするのだが、入って来たときと同じようにやってみても開かない。
何をどうやっても開かない。
一時間近くそうやって格闘していただろうか。
あれ?オレどうやって最初中入ったっけ?
頭の中に疑問符がいくつもよぎる。
中庭に閉じ込められた。
外では街の音がごうと響いている。
雨も降って来た。
僕は長旅で疲れきった状態で途方に暮れていた。
「.........誰か助けてくれ」
その時玄関ホールからのドアが開いて帰ってくるカップルが入って来た。
僕は助かったと思い、すかさず英語で話しかけた。
「すみません!鍵が使えなくて中に入れないんです!この鍵で間違いないはずなんですが、使い方を教えていただけませんか!?」
モデルみたいなカップルは少しいぶかりながらも快く応じてくれた。
そして玄関ホールに戻ろうとするとそのカップルが自分の階段の扉を開いているではないか。
「ちょっとまっっってぇえぇぇ!!!」
日本語でそう叫びつつ後ろ三回転月面宙返りで後方に吹っ飛び中に入れてもらった。
危機一髪だった。
そんなこんなで僕は部屋にたどり着いてことなきを得たのだった。
後日、僕は玄関ホールの郵便受けの前だとか、表のドアの前で途方に暮れている郵便屋さんを目の当たりにすることになる。
この国でメッセンジャーはやりたくないな。
だってルームナンバーすらねえんだもん。
ドイツ人はキチンとしているだなんて、まあまず嘘である。
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soundscape
by itr-y
| 2009-12-09 16:49
| ベルリン