2009年 12月 31日
支流 |
大晦日の日は少し早起きをした。
酒を抜いたのが功を奏したのか、スパンと朝に起きることができた。
無職の悪いところは特に無理して早く起きる理由もないので、だらだらと惰眠をむさぼってしまうところだろうか。
ただ僕にとって何もしない日々というのはこれが初めてではないので、わりと少しずつ生活サイクルや習慣はつき始めている。
無職が嵩じると規律ができて来てしまうのである。
おかしなもんだ。
早起きをしてその日何をしたのかというと、ブランデンブルグ門まで出かけて年越しカウントダウンの下見をしに行ったのである。
ベルリンにきてひと月近くが経とうとしているのに、なぜかブランデンブルグ門には行ったことがなかったのである。
行ってみると早くも取材陣や、観光客、そして見物人が集まり始めていた。
ブランデンブルグ門の向こうには、ずっと大通りがつづいていて、そこに屋台がずらりとならんでいる。クリスマスマーケットで見たような店もたくさんあるけれど、要は何か催し物がある時はこうして店が出るみたいだ。
テキ屋みたいなもんなんだろう。いつでもスタンバイしているのだ。
おもしろがってふらふら歩いていたらいつの間にかこの間骨董市で行ったティーアガルテンまで来てしまった。ちょっと歩くとわりとあっちこっちまで行けてしまうコンパクトさもベルリンのいいところである。
東京じゃちょっと散歩なんてノリで皇居を一周できない。よくやってたけど。
いったん家に戻って一休みをし、夕飯を食べてから10時前ぐらいにブランデンブルグ門に向かった。あっちこっちで銃声のように花火が鳴り響いている。
後で聞いたことだが、ほとんどが中国製で強力な火薬をふんだんに使った花火が使われるのだそうだ。爆竹はもちろんロケット花火も花火というかもはやミサイルだし、炸裂すると小型爆弾のような凄まじい音が轟く。
まるでクーデターでも起こっているみたいだ。
なんとか無事にブランデンブルグ門の前にたどり着き、人ごみの中で新年を迎えた。
あたらしい年の初めに、どこかその瞬間を共有できる場所にいたいというのは、不思議な欲求だなと思った。門の左の方で大きな花火が打ち上がると、テレビ塔に続くウンターデンリンデンの通りからも次々に花火がうち上がった。
ほとんどが市民が持ち寄って来た花火だ。
あたらしい年が始まるのだ。
歌おう友よ。
僕は人ごみの中で揉まれながら、いろんなことを思い出していた。
本当にひとつにつながっているのだろうか。
本当にすべてがひとつなんだろうか。
未来は枝分かれして行くのではなくて、これは「今」が河口に集まって行く過程なんじゃないだろうか。
流れる先はわからなくても、水が澄んでいるかどうかは分かる。
それを感じよう。
そういう年にしよう。
soundscape
by itr-y
| 2009-12-31 08:10
| ベルリン