2010年 01月 05日
泡のないカプチーノ |
なんとなく目がよく見えなくなることが多くなった。
もちろん何も見えなくなっているわけではなく、近視気味ということもあるのだけれど、それよりもなによりもきちんと見なくなった、と言った方がいいだろう。
これは仕事をしていた時も、何もしていなかった時も、学生時代の時もあった症状だ。僕にとっては症状というよりも特徴と言った方が正しいのかもしれない。
短期間とはいえ、しばらく滞在することもあり同じ生活が続いてしまっていることも原因かもしれないが、「なんとなくぼーっとしていることが多い」だとか「話を聞いているようで聞いていない」とか、はたまた「話を聞いていないようで聞いている」とかそんなことを言われることが昔から多かった。
そう言うときに何を考えているのかというのは、僕自身よく分からない。
いつかの会話を反芻したり、そこに別のストーリー(あのときこう言っていたら会話はこうすすんだかもしれない)を付け加えたり、完全に言語から離れた想像をしていたり。
内容はその時によって様々だけど、そう言うことがある。
よく街中でぶつぶつ呟きながらだとか、めったやたらと笑いながらとかそんな状態で歩いている人もいるけれど、そういった危ない人たちの気持ちは僕はわりとよく分かる。
今のところ完全な仲間入りは避けられていると自分では思っている。端から見たらどうなのかは分からないけれど。
頭を使うことが少なくなると、裸足になった頭は行く当てもなくさまよい始める。脳みそを使っていないと人間眠れないもので、それも生活サイクルを乱すひとつの要因にもなっていたのかもしれない。
少し疲れさせなければ。
僕はいつも行くカフェで小さなカプチーノを一杯頼み、カウンターでぽとりと目に目薬を落とした。
目薬が意識の瞼を開かないことは分かっているのだが、何もしないよりはましである。しばらくきゅうんとしみる目を閉じたままウトウトしてしまった。
ふと目を開けるといつのまにかカプチーノは冷めていた。
「どこをどう行けば....」
不意に口をついて出て来た台詞が誰のものなのか分からない。
「どこをどう行けば?」
僕はもう一回口にしてみる。そしてカプチーノの泡を吸い込む。
soundscape
by itr-y
| 2010-01-05 08:43
| 日常