2010年 02月 14日
いつでも微笑みを |
残念なことに大好きなマウアーパークのフリマに行くのも、今回の滞在中これが最後となってしまった。
毎週ここに来てぶらぶらと用もなくうろつくのが好きだったのでちょっと残念である。
フリマで学んだことは、売っているものは向こうの言い値で買ってはいけないということと、あとあんまりまけさせすぎてもよくないということだろう。フリマで売られているものはほとんどがすべてジャンクで、まあまずまともに機能するものはない。だから機能するかどうかわからないものは、それを理由に当初の半額から1/3くらいの値段をこっちからふっかけて、そこから徐々に妥協点を探っていくのがいいと思う。
そして、なんであんまりまけさせちゃいけないかというと、ジャンク屋はそれで生活しているからである。
たいていの店はほとんど毎週店を出しているから、足しげく通うと顔見知りになる。僕の顔を覚えていたかどうかはわからないけれど。取引は基本的にギブアンドテイクだから、ある程度は妥協する必要もある。まあそれでもそうとうふっかけてくるから最初の言い値の半額くらいにはまけても大丈夫なんだけど。
ドイツのフリマで印象的だったのは、古いものをみんなとても大事にするというところだ。なぜかどこの家でも古い家具とか、絵とかが飾られていたりして、そう言うものはたいていフリマで購入したものである。
カフェに入っても、古い家具で調度品をそろえているところが多い。そして、その家具がなんともいい感じなのでなかなかよい。それから家は基本レンガでその上に漆喰を塗っている。壁は厚くしっかりしていて、床はたいてい厚手のつややかにニスで塗装されたツーバイフォー材が渡してある。
そんな家に古い調度品となると、まあどうひっくり返ってもなかなかかっこ良くなる。ベルリナーはそれにくわえて貧乏な人も多いので、そういうライフスタイルがしっくり来るのだ。
そんな中フリマで一番印象的だったのは古い写真を売っていたことだろう。
どこから仕入れたのかわからないけれど、まったく知らない赤の他人の写真が平然と売り物として売られているのである。日本ならまあまずない光景だ。なんとなくひんしゅく買いそうな気がする。しかし、ドイツの人はこうした人の写真を買ったりするのである。ほとんどの写真はとても古く、様々な時代の写真があって歴史的にもとても価値のあるものだと思うのだが、他人の家族写真を見てもいいものなのかどうか、ちょっと戸惑ってしまう。
この間、ギターマニアのSの家に遊びにいった時、彼もフリマで買ったベルリンの古い写真を見せてくれた。まだ大戦が始まる以前の古き良きベルリンの街並。誰もこの時はまだこの街が激動の時代の波に巻き込まれて行くことを知らない世界。
古い路面電車や、遠くにある高架はたしかにそこがアレクサンダープラッツであることを示している。その他にも馬車でビールを運んでいる様子や、博物館の島の様子などそれとわかる写真がけっこうあった。
ちなみに彼と知り合ったギター屋の壁にも古い写真が貼られていて、僕はてっきり家族の写真なんですかと訊いたことがあるが、店主はやはりフリマで買ったものだと答えた。なるほど。まるで赤の他人の過去がここではデコレーションとして再利用されているのだ。そして、僕たちはそれを見てこの写真の人物がその後どうなったのかを空想する。
ちなみにSの場合は古き良きベルリンの街並、そしてギター屋では楽器を人物が持っている写真とテーマが決められていた。まだふつうの家族写真を集めている人に出会ったことはない。
僕もいつかそんな古い写真の中の過去の人となって行くのだろう。
そしてここにある写真もいつかどこかで誰かの壁を飾ることになるのかもしれない。
だからなるべく笑っていたいなと思った。
soundscape
by itr-y
| 2010-02-14 16:03
| ベルリン