2011年 01月 25日
Traum |
ベルリンの街はおとといくらいから少し寒さがぶり返して来て雪も時折ちらつくようになった。
雪が融けてからいつも通勤には自転車を使っていたのだが、昨日は気がついたら指先とつま先がひどくかじかんで来て、帰って来てから右手の指先がひりひりしてあかぎれを起こしていることに気がついた。
あかぎれなんて久しぶりである。
「赤ぎれ」と聞くと僕は何となく昭和な香りを感じてしまうのだが、たぶんフォークソングのせいだろう。僕の家には昔父親の使っていた古い70年代のフォークソングブックがあって、父親がそれをよく歌っていたのである。貧乏すぎて手に赤ぎれができる、と言った内容の歌詞だったと思う。ひどく貧乏臭い歌だが、まあ歌は世につれ、世は歌につれ。そう言うのが本当の歌というやつなんだろう。
ハンドクリームを手に擦り込んで眠る。久しぶりに窓が曇っている。
よく眠れなかった。
なぜか目が冴えてしまったのでのそのそと起き上がって冷蔵庫を開けてビールを一本開けた。ソファーに座ってぶつぶつと独り言を口にする。独り言を言うことが多くなったような気がする。よくないことだとは思うが一人でいると思考が口からひとりでに出て来てしまうことが多い。本も読みたくないし音楽も聴きたくない。勉強もしたくない。処理しきれない情報が口からポタポタと垂れている。もう外は暗いけれど明け方で、誰かがまた仕事に出てゆく音がする。この音を聞くと僕はいつもとても寂しい気持ちになる。僕も一緒にあなたの仕事に連れて行ってくれませんか?
飽和状態で落ち着かない一時間が過ぎてやがて日が昇り外が少しだけうす明るくなる。僕はようやく疲れを覚えて床に就く。3ヶ月ですっかり自分のニオイが染み付いた毛布にくるまる。この半年間いろんなベッドで眠ったけれど、どこでも僕はよく眠った。ただ眠り方は変わっていない。なかなか寝付けずに呆然とし、だらだらとベッドに入ったまま意識だけが起きていて、それに疲れた明け方にようやく眠りがやってくる。そして半ば夢遊病のような抗いようのないほど深い眠りの中で僕はいろんな過去の混ざった夢を見て、起きると午後2時3時くらいになっている。ひどい時は夕方起きることもあった。ひどい生活だとは思うが朝起きる必要もないのである。必然そうなる。
子供の頃から寝付きはあまりよくなかった。
すぐに眠れる人がうらやましかった。どんなに疲れていても必ず一時間以上は目を閉じてからじっとしていないと眠れなかった。部屋を真っ暗にして、何もせずにじっと目をつぶる。そしてつまらないことを色々と考える。今日のあのシチュエーション、昨日のあの会話、そしてあの時のこと。
あの時ああしていれば、あの時こう言っておけばとか無数のパターンが頭の中で繰り返す。まるで木の枝のように広がった可能性と多くの未来の選択肢の中のひとつひとつを僕は指でなぞり、その中で自分の役割を演じる。時にはあり得ないキャラクターを演じて一人ほくそ笑む。あるいは取り返せない過去のリプレイの中で僕は勇敢かつ知的な人間でいる。こうあればよかった。こうすればよかった。こうあるべきだったのだ、と。
なんの役にも立たない。ただの自分の願望からストーリーはだんだんとその形や成り立ちを忘れ、しだいにストーリー自身が我を忘れて行く。物語が物語を放り投げ、残るのは短編的な映像だけになる。そこにはいつも音は聴こえない。すべてが無声のまま進んでゆく。そして僕は観察者からしだいに風景それ自身となる。
どこにもいなくなる。
soundscape
by itr-y
| 2011-01-25 02:38
| ベルリン