2011年 03月 17日
傷も癒えぬ間に |
先の地震からしばらくして原発の事故の件がずっと報道されている。
3号炉が爆発した際にはドイツ人だけでなく、他の国の友人達からもみんないっせいに「大丈夫なのか!!?」とメールが来て彼らをなだめるのがたいへんだった。
こちらでも引き続きニュースはやっている。ドイツのSpiegel。イギリスBBC、そしてアメリカCNN、NewYorkTimes。どこのニュースでも一面で福島の原発事故のニュースをやっていて、どの記事も事態が深刻であることを報じている。情報がないからなのかそれとも我々よりも事態を把握しているのか、ほとんどの国は国外退避などの避難勧告を自国民に出している。日本の報道や対応とは大きく異なっている。
この点を受けて僕は実家の両親にもどこかで避難する心づもりはしておいてくれということと、30km圏内でやっている放射能対策ぐらいはしておいてくれと伝えておいた。あとは現時点ではどうしようもない。避難しようにもガソリンや物資が不足している中、そうした行動をとることは社会的にもマイナスだろうし、首都圏の人間全員が避難したらいったいどれほどのエネルギーが消費されてしまうだろう。僕自身車を持っていたし、あっちこっちドライブして回ったりもしたからどれだけ燃料が必要かは実感としてわかる。結構バカにならない。
「東京に友人がいるんだけどなぜか避難しようとしないんだ」とか、「お願いだからみんな逃げて」と日本の友人のことを心配する人もいた。また人づてに聞いた話では「日本人はなにか『死ぬときはみんな一緒だ』みたいな意識を持ってるの?」と聞かれた人もいたそうだ。
う〜ん。なんとも言いがたしである。
死ぬときはみんな一緒だ、までは行かないかもしれないけれど、なんとなく自分勝手なことをしちゃいけないみたいな雰囲気は確かにある。抜け駆けは潔しとされない。それはわかる。ただ、今回の件で政府も東電もひいては国民も、どっかまだ悠長に構えている節があるような気がして、こっちでニュースを見ている方としてはそれが気が気でならない。
ドイツ人はなにか危険な可能性があると、安全のためにそれを未然に防ぐという感覚が一般的である。防げるものは完全に防いでおくのがドイツ人なのだ。それに対して日本の場合、なにかことが起こってしまってから行動にでるというのが一般的だ。事件や事故が起こって被害者がでてから始めて動くのである。これは警察に関しても言えることだ。だからなにかが起こってしまってみんな一緒に共倒れみたいなことが往々にしてある。これはどういうことかと言うと、たぶんみんな責任を負いたくないのだろう。
責任を負いたくないというのはすごく後ろ向きな考え方だけど、この国の責任者に対する仕打ちはひどい。自分自身も家族も社会的に精神的にズタズタにされてしまう。シャレにならないのだ。東電の委員たちがのたのたしているのは、ただたんに管理能力や対処能力がないからだろうが、そんな日本の嫌な側面もちょっと垣間見える気がする。
ただそれにしても状況がわからない。
現場でやっている方だって、いったい自分がどれほど危険な場所にいるのかもひょっとしたら実感がないかもしれない。目に見えないものが相手だし、固唾をのんで見守っている方としても何が起こっているのかわからないのがふがいない。
今、日本が未曾有の緊急事態にあることは間違いないのだが、はたして僕は日本にいる家族や友人親戚達に「今すぐそこから逃げてくれ!」と言うべきなのだろうか。パニックを避けようとしているのはたぶん政府もマスコミも国民もみんな同じで、その中でどう判断したものか、お互いを横目で見ながらけん制しあっているようにも見える。
とても危険ということは言える。
ただすべてが終わってしまった後で、100歩逃げた者を50歩逃げた者が笑えるような、そんな呑気な未来はもう待っていないような気がしてならない。
でも、だからといって何が出来る?
soundscape
by itr-y
| 2011-03-17 12:27
| ベルリン