2011年 03月 22日
すべてを失うということ |
地震のチャリティーイベントがこちらにいる日本人グループの間でたくさん行われている。
早いうちにやらないと忘れられてしまうというところもあってか、わりとみんな早く動き出していた。知り合いにもそう言うことをやっている人がいたので、ちょっと参加してみたりしてみた。参加と言っても本当に顔を出す程度のことだったが、とりあえずはという感じである。自分が何かした実感はない。
こちらの報道は地震のニュースも減って来て、もっぱら自国の原発をどうするかという方向にニュースが流れて来ている。まあ無理もないのだがこのことについてドイツ人の友人に話を聞くと、おおかた多くの人間はロクに原発のことについて知りもしないのに反対反対と言っているだけなんだと声を荒げた。
みんなわりあいすぐ声を荒げる。
彼もおとといだったかラジオで専門家が間違ったことばかり言っているので、訂正するためにメッセージを送ったら今度は彼が訂正した情報をそのまましゃべっていたと嘆いていた。
「解説するのが仕事なのにこんな有様なんだよ。こんなんでお金をもらっているだなんて信じられない!」
とまた声を荒げる。
ここ数日で世界のニュースは大きく揺れ動き、中東アラブ諸国の民主化の動きから日本の大地震による世界経済への影響など、3ヶ月も経たないうちに本当に大変な年になってしまったと思う。リビアでは革命の動きが泥沼化しついに連合軍による空爆にまで事態が発展してしまった。カダフィ大佐は民間人を盾に使うなどして事態は泥沼の様相を呈している。早く事態を収束させないことにはたぶん民間の犠牲者はもっと増えるだろう。今回の攻撃はスピードが命だ。
アラブ諸国の民主化運動も原発の件もそうだが、21世紀はまだ前世紀の問題を引きずっている。割合と落ち着いていられるのは問題それ自身が古いものであるからだろう。ただそれに対する反応のレスポンスが早くなって来たのは情報化社会のなせる技で、起こっていることは変らずとも僕らはそれらをわりと早いスパンで目の当たりにすることが出来るようになったのかもしれない。おかげで生きている間にエンドロールまで見ることができるようになった。
時代は慌ただしくなった。
処理するスピードが速くなったのは歓迎すべきことだろうと思うが、同時に起こる問題も多くなった。地震に関しては例外かもしれないが。
こちらの新聞には日本の新聞では肖像権の関係などで載せられないような写真が多く撮られている。
下の写真は名取市で撮影されたものだ。裸足で膝を抱えて座り込む少女はおそらく地元の子なんだろう。見慣れた風景は跡形もなく波に飲まれ、すべてが瓦礫と消えた。僕には生まれ育った街というものがないので、そこで生まれて育った人たちにとって故郷の街がなくなってしまうということがどれほどつらいのか、それがよくわからない。
でもこの名取の街は僕も好きな場所のひとつで、平坦で延々と続く畑も砂浜もとてものどかで平和だった。どうすることも出来ずにいた20代前半の時代にこの辺りを歩いて回った記憶は今も憶えている。閖上の浜には400年以上前に伊達政宗がつくった貞山堀という防災の目的をかねた水上交通用の運河があって今でも閖上では漁港として使われている。全長33kmの日本最長の運河だ。この貞山堀と港にある巨大な消波ブロックと防波堤がなければ、恐らくもっと多くの町が波に飲まれていたことだろう。
仙台の街は400年経った今も正宗公に守られていたわけだが、それでも助けられない命は多かった。
それが失われた時にその失った場所を思い出した分だけ。
その人の声やぬくもりを思い出した分だけ。
悲しみというのはその記憶がより鮮明であればあるほど大きくなるのかもしれない。
soundscape
by itr-y
| 2011-03-22 16:18
| ベルリン