2011年 07月 03日
嘲笑 |
ワインを開けてソムリエナイフをしまおうとぱちんとナイフを閉めた途端、指先に痛みが走った。鋭利な刃先が中指に突き刺さっていた。それにも関わらず僕はしばらくその様子を眺めていた。そしてゆっくりと刃を起こして指先から外した。
出血するよりも前に指先を口に含んだ。少し塩辛い血の味がした。
数日前に銀行で口座を作った。外国で口座を作るには住民登録と、きちんとした職が必要だと聞いていたのだけれど、とある人からどこそこの銀行なら無職でも口座を作ってくれるはずだと聞いて、行ってみたら実際に口座を開く事が出来た。口コミは当てにならないが、それでも時々こうしたなによりも有益な情報を提供してくれる。しばらくこっちにいる間に、残高のチェックを忘れていてクレジットが止められてしまったり、さんざんなことばかりだった中で、この銀行口座の開設はなによりも喜ばしい出来事のひとつだった。
ドイツの口座でしかもネットバンキングに対応していて、なおかつ担当の行員さんはクレジットカードの申し込みまでしてくれた。こっちではバイトしかしていないけれど大丈夫なんですか、と訊いたら、たぶん大丈夫だと思うよと言って申請を出してくれた。まだどうなるかはわからないけれどこっちでクレジットが作れればそれはなによりも心強い。日本のカードが停められてしまった今、なにかしらあるととても助かる。
そう。しばらくその件で日本のカード会社に電話をかけてやり取りをしていたのだ。
某メガバンクのカードは一度でも支払いの滞納があった場合、即クレジットの利用は停止になるといい、けんもほろろに断わられた。担当のオペレーターも感じが悪く人の話をまったく聞かないタイプの人間だった。感じが悪かった。そしてにべもなかった。
一方で、某コンビニエンスストア系のカード会社はとても対応がよかった。地元の浦安で登録をしていたので、今回の震災で浦安市が被災地区に認定されていることから延滞していた支払いに関しても無利子で対応してくれ、なおかつクレジットカードはまだ使えるとの事だった。こういう時に震災の被害が福と成す事は非常に皮肉な話だけれど、おかげでこのカードが海外でもいまだに使える唯一のカードとなった。さすがファミリーマートなのである。この会社の株を買おうと強く思った。
微妙な対応だったのは信販系のカードだった。最初は渋ったものの、同じように浦安が被災地区だという事を利用してカードの復旧をしてみますとの事だったけれど、やはり難しいと断わられてしまった。しかしそれでも僕は食い下がり、海外でカードがないと非常に不便だし、何も出来ないのと同じだ、督促状を送ったとおっしゃるが何日にそして何通送ったのか。封筒には督促状と書かれているのか、留守電にメッセージを入れたと言うがこちらの国際ケータイには何の記録も残っていない、そもそも夜中に電話がかかってくるからふだんは日本の携帯電話なんか電源は切っている、など思いつく限りの言い訳を並べ立てた。先方は督促状を送るのはあくまでも「こちらが善意でやっていること」だと言ったけれど、届かないようでは善意とは言えないないのではないのか。あくまでも「善意」のものを4通も送る理由ってなんなのか。先のメガバンクのぞんざいな対応にそうとうイライラしていた僕は弱気な信販系のカード会社のテレオペの担当者をギリギリと締め上げた。こういう時に自分もジャーマナイズされつつあるなと感じる。
とりあえず今はそのコンビニエンスストア系のカードだけが使えて、信販系のカードに関しては判断待ちである。そのカードは東京メトロのカードなので使えなくなると地下鉄に乗るにもJRに乗るにも切符を買わなければならなくなるので非常に困るのだ。ベルリンに来てから住所が決まらずに登録する事が出来なかったというのも正当な理由にあたると思う。もう一回電話してまたゴリゴリとプレッシャーを与えていこうと思う。海外でクレジットがないのは本当に致命的な事なのだ。
それでもまあ銀行口座はとりあえず作れたという事で、なんとなくこのままビザの件もうまくいきそうな気がしている。少しは楽観的になってきていると思う。
ビザの期限までひと月を切ろうとしている。ビザが延長できたにせよ出来なかったにせよ、どのみち日本に帰るつもりでいる。理由は簡単。経済的な事だ。こちらはいろいろな人が集まってきて文化的に見るものが多く、物価も安く、雰囲気の良いカフェやライブハウスやその他いろいろ魅力的なものは多いが、お金を生み出す事だけは出来ない街だ。冷戦が集結し、東西が統一されてからずいぶんたつけれど、この街はいまだに貧しい。少しずつ物価は上がって来つつあるが、それでもここでお金を稼ぐということはほとんど無理なのである。ましてや音楽でやっていこうなんて土台無理な事なのだ。ほとんどのミュージシャンたちはベルリンをあくまでもヨーロッパの活動拠点として位置づけている。ここでお金は作れないのだ。
僕はこの一年を、まあまったく無駄にしたと言っていいと思う。
もうすぐビザが切れるという事もあって僕の頭は一年のまとめモードに入っている。結論から言うと、まあ無駄だったよねと思っている。多少の後悔はあるが、事情は理解できる。自分の事だからだ。だからこそ、無駄にしたからこそもう少しここに居たいと言う気持ちはある。残るのであれば何かしら得てから帰りたい。それがドイツ語でも英語でも、海外での勤務経験でもなんでもいいのだ。何かが残ればいい。
ここ1、2ヶ月は個人的にけっこうヘビーな月だった。ひどく個人的な悩みだったけれど、まるで思春期の少年のようになってしまっていた。ふだん吸わない煙草を吸い、一人地下室でもんどり打っていた。ひどい日々だったと思う。
そんな日々を通り過ぎ、少し冷静な判断が出来るようになってから少しずつ摂生するようになった。20の頃の自分を思い出していたのだ。あの頃は今よりももっとストイックだったと思う。あの頃の自分に軽蔑されないような自分に、あの頃の自分に誇れる自分になろうと思った。あいかわらずダラダラしてはいるものの、少しは気をつけるようになったのだ。いい傾向だと思う。
日本に帰ったら福島に行ってみようと思っている。
何が起こったのかを実際に自分の目で目の当たりにしたい。野次馬と思われるかもしれないが自分の目で見たいのである。そして仙台の大好きだった場所がどうなってしまったのか、それも確認したい。婆さんが無事だった事もほとんど奇跡のように思える。やはり死んだじいさんのおかげだったのだろうか。どうもそんな気がしてならない。
ビザで四苦八苦している反面、こういう風に人生にある種の区切りをもうけるのはひょっとしたらなによりも大事な事なのかもしれないなと思ったりもした。僕はいつまで生きるのだろう。今でも想像がつかない。
手持ちの救急バッグから、日本からもってきた絆創膏を取り出し指先に巻いた。それほど血は出なかった。不注意から来るケガはあいかわらず多いが、気にも留めなくなってきている。それは成長と呼んでいいものなのかどうか。
以前よりもふてぶてしくなってきた自分を一人あざ笑う。
soundscape
by itr-y
| 2011-07-03 11:27
| ベルリン