2011年 09月 26日
夢見る少女たち |
家にビールがケースで家にあると非常に心優しい気分になれる。よっぽど飲まない限りはビールがなくなる事がないのだ。なんてすばらしい事だろう。500mlの瓶の11本入ったケースがぎりぎりメッセンジャーバッグの中に押し込めるサイズなのだけど、わっせわっせと持って行きさえすれば、当面、ビールに困る事はないのだ。日本でなら500mlの缶一本で350円くらいはするだろうが、こっちでは6ユーロちょっと(700円くらい)である。買うな飲むなという方が無理である。飲みますよ、ええ飲みますよ、飲みますとも。一人、秋の夜長に部屋でゆっくりとビールを飲むのである。
帰る日取りを決めたはいいものの、さて何をしようか。いろいろとやるべき事はあって、何から始めたらいいのかわからない。せっかくドイツにいてしばらく少しはお勉強もしたわけだし、ドイツ語の試験でも受けてみようかと言う気になって来ている。
というのも、身の回りにドイツ語の試験を受けている人が多いので、自分も受けてみたくなったのだ。その程度の理由である。といっても、自分の場合は別に語学留学でもなんでもないので、受けなくても特に何も困る事はない。でもおかしなもんで人がやっていると自分もやってみたくなるのだ。あとはしゃべれないとちょっとバカにされる事も少なくないのである。みんな口に出しては言わないが、どことなく「ふーん、それだけいてしゃべれないんだあ」みたいなオーラが出ている。コンニャロメと思ってしまうのだ。
知り合いに某私立大の文学部の出で、ドイツ文学の勉強をしていると言う女の子がいるのだけれど、彼女は僕のちょっとあとに来たにも関わらず、早くもいくつかの試験にパスしていて、この間も新たな試験にチャレンジしていた。彼女はけっこうな本読みなので、わりあい話が合うのだけれどこれほど本の話が出来る相手というのにはじめて出会った。大したものである。小説、私小説はもちろん、エッセイから哲学書まで読む人というのは珍しい。まあ自分もそうなんだけど、読書の領域が多岐にわたっている人と話をするのはなによりも楽しい事である。
そんな彼女に触発されるところも多く、じゃあちょっと本格的に勉強してみっかと大型書店に出かけた。
ベルリンのフリードリヒ通りには、Dussman(ドゥスマン)という名前の大型書店がある。本から文房具からCDまでなんでも売っている大きな本屋さんで、勤め人のために深夜の0時までやっている。いろんな用事を済ませたあとでも最後に寄れる本屋さんなのだ。そこの参考書売り場でずーっとほんを吟味しつつ、なかなか決められないでいた。しまいにはその時間に勉強してた方が良かったんじゃないかというくらい同じ場所に立ち尽くしていて、結局当たり障りのなさそうな参考書を2冊買った。
悩んでいた理由は簡単で、あまりお金がなかったのである。欲しい本は多いけど全部は買えないし、そもそも買った参考書を全部やり込めるとは限らないし、と考えるとなかなかふんぎりが着かなかった。
結局、わりあい簡単そうなやつとちょっとだけ難しそうなやつを買って売り場を後にした。買ったところで全部出来るわけでないのはわかっているのだけれど。
フリードリヒ通りはわりあい都心部に近いところにある。ブランデンブルグ門からそう遠くは離れていないし、少し行けばアメリカやイギリスの大使館もある。ブティックもカジュアルなお店も、高級ホテル、デパートもある。金曜日ともなれば人はたくさん歩いているが、そんな買い物客を目当てにストリートミュージシャンも多く集まる。こっちのミュージシャンはけっこう上手い人が多く、見ていて飽きない。ドイツ人はと言えば、特に足を止めるでもなくそのまま素通りしてしまう人が多いけれど、もう日本に帰るとなるとそんなミュージシャン達の演奏を聴く事もなくなってしまうのかと思って、最近はよく足を止めて聞いている。
その日はイタリア人のサックスプレイヤーに会い、少し話をして連絡先をもらった。若いのに渋い演奏をするいいミュージシャンだった。またどこかで会いたいと思う。連絡を取ろうと思えば取れる人が増えるのはいい事だ。以前にはチェロの演奏家に出会った。帰るひと月前になってまた僕はこの街をうろついている。まるで最初にここに来た時のように歩く犬みたいになっている。
ちょっと考えさせられることもあった。
それはいわゆる男女関係の問題というやつで、完全に他人事なのだけれど、完全に他人事として見れないところもあった。外国でそういう問題に出くわすとそれが国や人種の差なのか、それとも単に男女の考え方の違いなのか、はたまた年齢の差なのか、原因がよくわからなくなってくる。
外国人にもてあそばれた女の子の話である。ワーホリで来る日本人の中には外国に来たはいいけれど暇という女の子が多いので、わりとヤリやすいと言われている。心の底からぐったりする話だが、知人から聞いた話ではどうも本当らしい。すくなくとも自分はその恩恵にあずかってはいない。また外国に行くような女の子は外人にあこがれを抱いていることが多いのでまた始末に負えない。遊ばれていることに気づかない。自分も白人女性の端正な顔立ちとグラマラスな容姿には弱いので何とも言えないが、彼女達の性格にはちょいと辟易する。白人男性が日本人の女の子を好む理由はひとえに「やさしいから」の一言につきる。そんなにヨーロッパの女性は優しくないんですかと思うと、しみじみと夢が水を吸って湿気ってゆくのである。
あまりバカなことはしないでくれ。そして外人には気をつけてくれ。すっかり年を取ってしまったような気分でおじさんはそう呟くのである。こちらに来てドイツ人の優しさや度量の広さに感心することもあったけれど、とにかく利己的ですさまじく2面性があることにも驚かされた。こっちでは裏切りは裏切りではなく当然の権利としてそこにある。極東のアジア人がわめいても、理解されることがない。彼らは悪いこととは思っていないからだ。自分に利益のあることにしか興味がない。そんな連中に友達面されると本当に気分が悪いのである。FaceBookはそんな欧米文化とはとても相性がいい。どんどんどうでもいい友人知人が出来てゆく。自分からリクエストを出したりしといてなんなんだが、こういう薄っぺらい関係には本当に時折嫌気がさす。
先日、あまり会いたくなかった人間と再会した。白人嫌いを自称する彼は、そのくせまた性懲りもなくドイツに来たわけだが、はっきり言って尊敬できない人間だった。いろいろ話をしたりもしたのだが、話をすればするほど嫌いになってゆく。ここまで自分が人を嫌いになるのは珍しいのだが、嫌いになる人間には共通点があって、どの人間もたいてい男女関係がだらしない。そう言う人間ほど本業がある程度出来るのだが、そう言う人間はある程度以上の域をけっして越えることはない。そして,だいたいいつも同じようなコミュニティの中に属している。どうしても尊敬できない。
夢見る少女達も、それを食い物にする男達も、ひょっとしたら大して変わらないのかもしれない。どちらも自分のテリトリーに安住して、その中での生き方しか知らないのだろう。自分が彼らと違うという確証はどこにもないが、彼らを見ていると逆に自分が目指すべきものが少し見えてくる気がするのである。
どういう態度でいるのが一番いいのか。とりあえず僕はまた机に向かう。
あとひと月。やるべきことは多い。
soundscape
by itr-y
| 2011-09-26 23:00
| ベルリン