2011年 11月 20日
木こりの生活 |
日本に帰って来てからこのかたいろんな人々に再会しているが、正直もうちょっとくたびれつつある。季節外れの生暖かい嵐の中、僕は近所に住む知人に会いに行ったのだけれど、正直ちょっともう疲れていた。みんな自分のやりたいことがあって、それに人を巻き込んで行きたいと考えているらしい。僕みたいなフラフラしている人間はそういうのにトッ捕まりやすい。個人的にはポジティブシンキング路線に割とシフトしつつある自分の生き方だが、もうすでにポジティブに疲れて来た。無理をするとよくない。このブログはとある個人のネガティブブログなので、どちらかと言うと緩やかにネガティブ路線を行って、時々皮肉が混ざるというのが理想だ。そうすると何がいいか。あまり人が来ない。人気がでないのが続ける秘訣である。特に自分のような人間にとってはそうある必要がある。周りに流されやすいからだ。
それじゃあなんでブログなんかやっているかと言うと、一応ネットだから全世界に公開されているものの、実際にはこういう個人ブログはどこよりも閉ざされた、秘密の箱庭的な要素も持ち合わせていると思うからで、風の谷のナウシカでナウシカが腐界の胞子をこっそり栽培していた地下室のごとく、ひっそりと続けてゆきたいと思うのである。もちろんお客さんは歓迎である。ただ、自分は山小屋の中の木こりのような存在なので、ハイキングで来てるだけだったらそっとしておいてほしい、というところもある。昨今の自分の社交的活動は、どうもやっぱり生来の内向き気質に基づいているところがあるらしいと気づいた。でもこれを認識した上で社交的になるのと、自分をだまして社交的になるのとではずいぶん違う。あとあとになって矛盾が生じない。これがこの10年で得たものだろう。無理はしない。そして自分はどこまでも自分である。
仕事が決まりそうでまだ決まっていない。ベルリンに戻りたいのはやまやまだけれど、もうちょっと先になりそうである。早く行かなきゃいけない理由もあるにはあるのだが、よくよく見てみるとみんな個人の都合である。そう言うのを上手くかわしつつ、そしてたまにはリクエストに応えつつ、自分のやりたいことをメインでやっていくというのが理想である。もう少しわがままに、自分のやりたいことをやろうと思って会社を辞めたのだから、もう少しわがままに、気ままになる必要がありそうだ。人間は生来どうも縛られることを望んでいるのではないかと時々思う。「誰も自分で考えたくないねん」と、ベルリンのバイト先の先輩は言っていたけれど、まさにその通りで、夢をそれらしく語りつつも、はっきり言ってだれも本当はやりたいことなんてないんだろうと思う。昔、自分で書いた曲の中で「とってつけたよな夢あつらえて君は自分をだます」というフレーズを書いたことがあったが、夢を追う人の中のほとんどがそうなんじゃないんだろうか。
いい具合に皮肉っぽくなって来た。
ところで、被災地認定までされてしまった浦安の街はあちこちがでこぼこになっていた。今日の雨であちこちが水たまりになってしまい、それまでなかったような大きな水たまりがあっちこっちに出来ていた。今まで気づかなかったけれど、それなりに道路は水はけよく造られていたらしい。ぴょんぴょんとときどき飛び跳ねながら家に帰った。
実家は落ち着く。良くも悪しくもここで長い間過ごした僕は、2週間ほどですっかりこっちの暮らしになじんでしまった。震災後変わったことは道路の他に、野菜を買うとき産地にこだわるようになって来たことである。悲しいことだが福島や茨城、東北の野菜を買いたくはない。悪いけどそれだけは出来ないのだ。東北の野菜を買うことが地域の復興につながるとは思わない。買ってあげたところで状況はさしてよくならないと思う。
自分の部屋の見回して、いろいろとやることが多いことに気づく。いらないものの処分だけで追われてしまいそうだ。僕はネットで近くのフリマを検索し、何か売れるものはないかと見回す。一人暮らし時代に使っていたものが段ボールの中に入って積まれている。ベルリン二回目の渡航の際、ベッドや冷蔵庫、洗濯機など大きいものはすべて処分してしまったが、いまだに残っているものもある。この際、そいつを全部売っぱらってしまうのもいいな、とも思う。
他人のことをとやかく言ったものの、自分は自分で他人を巻き込みたい計画はたくさんある。その上で、他人の話に巻きこまれる自分以外の他の人間がどう感じるかと言う貴重な経験になったと思う。人のふり見てである。
今、自分の机に上には図書館で借りて来た本がいくつかある。当たり前だがすべて日本語で書いてあるので、すっと頭に入って来るし読みやすい。そしてなぜか机の上には集英社新書が多く並んでいる。
山下博 「電線一本で世界を救う」 集英社新書
岡敦「強く生きるために読む古典」
門倉貴史「ゼロ円ビジネスの罠」
いずれもちょっと文学的とは言いがたいが、アナログオーディオ回路をときどきいじる自分としては、銀線アースだけで燃費とCO2およびその他の有害な排気ガスを減らしてしまった一介のオーディオマニアの奮闘記である「電線一本で世界を救う」は面白かった。なるほど、だから秋葉でアースキットがたくさん売り出されたのか。オリジナルはこの人だったらしい。すごい発見である。何でもかんでもアースを敷いてしまいたくなる本だ。後の2冊はまだ読んでいない。
その他、
大朏博善「放射線への健康への影響」WACテーマBOOK
これはもうまさにそのままの内容である。
そしてなぜか
ミヒャエル・エンデ 「エンデ全集3 『モモ』」 岩波書店
これは、エンデがドイツ語の児童文学として非常にきれいな文体を持つことで有名だということを聞いて、向こうの本屋でドイツ語版を買い、そしてその上さらに音読CDを買って、なおかつドイツ語で読む前に日本語で読もうと思って借りて来たのである。この物語のことは前から知ってはいたけれど、いまだに読んだことはなかったのである。いい機会だから読んじまえ。そう思って借りて来た。こういうのを読むのは瞬発力だ。そして読書のいいところは、当初予期していたものとまったく違う内容で、まったく違った方向の感動を与えてくれるところだろう。今さらながらそう思う。
そんなこんなで、帰って来てからすぐに僕の机は読むべき本が積まれてしまった。こうなるともう熱が冷める前に読むだけである。さめてしまうと美味しくないのだ。でもつまらなければすぐにやめてしまう身軽さも今は身に付いているから、きっとわりあいさくさくと読めるはずだ。木こりの秋はいろいろやることが多い。
soundscape
by itr-y
| 2011-11-20 01:09
| 日常