2011年 12月 26日
ふきこぼれたコーンポタージュ |
不要なものをいくつかヤフオクで売り払って、3つの品が今夜までに売れた。とにかく安くするのが売っぱらうコツである。高く売るコツは知らない。とにかく部屋が片付けばいい。今はそんな感じだ。
とにかく節約節約を心がけてはいても、それでも何かと出費は付いて回る。自転車はあの後結局不具合の連続で、あまりにも危なっかしいので通勤に使うことはとりあえず今のところ見合わせている。フリーが突然抜ける。スプロケも削れていてトルクをかけて漕ぐとスコンと抜けることがある。危なくて力を入れて漕げない。ペダルがいきなりくるくると回り始めたらそれはそれはもう怖い。1回危ない目にあった。危ない目に遭うときはいつも単独だ。幸か不幸か誰も見ていない。ひとりで冷やっとしている。
いつもイヴの夜はJ-WAVEの沢木耕太郎の「ミッドナイトエクスプレス「天涯」へ」を聴くのが恒例になっている。J-WAVEがこの番組をクリスマスイヴの夜に毎年放送するというのが非常に好きである。こういう番組を放送する局のスタイルが好きである。沢木氏の落ち着いたトーンの声はイヴの夜を誰と過ごすでもなく、一人で過ごす人間に優しく語りかけて来る。「旅」をテーマにした番組は、何となく本当に深夜の駅の待合室や、B寝台で一緒に乗り合わせた旅人同士の会話のようにも聞こえる。
実家で過ごすクリスマスは、母親の作るローストチキンと、マッシュポテトとニンジンのグラッセ、クレソンの付け合わせと、牛乳でずいぶん薄まったコーンポタージュスープ。そしてコンソメとミックスベジタブルで作った即席のピラフという、定番のメニューだった。不二家で予約して買ったと言うケーキに蝋燭をさして灯を灯し、僕はギターを持って来て「きよしこの夜」を歌う。我が家は昔からこうだった。古き良き日本のクリスマスがいまだに我が家には残っている。
離れて暮らす姉の家にスカイプをつなぎ、居間にPC置いておいたら父親と母親が喜んで話をしていた。スカイプがとても便利なものだということにようやく気づく両親。Macの場合はどんな機種でもとりあえずマイクとカメラは付いているので、ハンズフリーでも話せる。父と母はずっとPCの前にいて姉と話をしていた。
両親や家族と話をしなくてはいけない。そう思ったのは震災以降だった。もしかしたらあの地震で家族が全員死んでいた可能性もあったのだ。そう考えると今生きているのが本当に単なる偶然なのだということに気づかされる。海外にいる自分以外は家族全員死んでたかもしれないのだ。30になったと同時にあの地震が起きたことで僕の意識はずいぶんとはっきり揺り動かされた。そして半ば強制的に目覚めさせられた。今年の一文字が「絆」だというのは、たぶんこの一年で一番納得できるものだったと思う。ただこの言葉は「きずな」と読むと同時に「ほだし」とも読める。どこからどこまでが絆(きずな)でどこからどこまでが「絆し(ほだし)」になるのかはわからない。この文字のもうひとつの読み方を教えてくれたのは、かつての剣道部の顧問の先生だった。教師というのはときどきよく分からない話をする。その話をしてくれたその日、先生に何があったのかは知らない。ただ僕はそのその言葉にもうひとつ読み方があり、それはよく知られている方の読み方とはちょっと違ったマイナスの意味合いがあるということを教わった。
善くも悪しくも僕は再び家族と関わろうとしている。
摂りすぎたカロリーを消費すべく僕は少し運動をした。昔やっていたメニューを一部省略して、ブランクをなんとか取り戻そうとしている。これからは今以上に体が資本になる。僕は二十歳の頃の自分に戻り、自分と会話し始める。25日は本当は他にもやるべきことがあったのだが、夜更かしをして酒を飲んだせいですっかり寝坊をした。
予定を変更して、いつものルートを辿る。僕が行くところは図書館ぐらいしかないのだが、新しく本を借りて、帰途についた。
メリークリスマス。いつも通りがまだ僕に残されていることに感謝して。
soundscape
by itr-y
| 2011-12-26 00:28
| 日常