2012年 03月 06日
いくつかの展望 |
24日から5日までの間、僕は仙台の祖母宅にいて、29日と1日の2日間に借りた車で被災地を見に行って来た。本当はいろいろとボランティア活動などもしたかったのだが、親戚の家というのはいろいろと面倒事が多く自分の段取りの悪さも手伝って結果的に行けたのは2日だけだった。でもしかし車のおかげで短時間でまわれたのは幸いだったと思う。東北はあろうことか僕の到着の初日に雪がどさっと降り、帰る日にも大雪が降った。天気に振り回された滞在だった。
行って来たのは宮城県は七ヶ浜、石巻、女川、南三陸町、北上、気仙沼、岩手は陸前高田、大船渡の街だ。
祖母の家の近くの閖上の街もひどかったが、あらかたもう片付いていて半分古代の遺跡のようになっている所がほとんどだったけれど、北の方は一年経った今でももっとひどい様相を呈していた。中でも一番ひどかったのは陸前高田で、この街だけが車を降りると他の街とはちがう少しピリピリとした雰囲気を持っていた。他の街はもうあらかた後片付けも済んで、これから復興して行こうというムードがあるのだけれど、高田だけはまだ津波に襲われた直後の雰囲気をいまだに引きずっていた。
あちこちに積まれている瓦礫の巨大な山と、冬でも臭って来るその腐臭がいっそうそうした雰囲気を醸し出している。どこも基本的に立ち入りは禁止なのだろうが、地元の人に歩いて行けますよと言われて僕は再びもと来た道を戻り、一本松を見に行った。
一本松は7万本植えられていた陸前高田の海岸線の松の一つで、なぜかこの松だけが生き残った。おそらく、海側にあったコンクリ製のユースホステルが波を防いだのだろうと思う。しかし、なんとか生き残ったと思われたこの松ももうすでに息絶えているということがわかったそうである。昨晩泊まった宿の近所の寿司屋の大将にそんな話を聞いていた。
近くで見る松はとても大きい。20mくらいはあるだろうか。きれいに冷たく蒼く晴れ上がった空に立ったその松はたしかにとても不思議な威厳をもってそこに立っていた。僕は周囲の視線を少し気にしつつも、せっかく来たのだし写真に撮らなくては意味がないとたくさんの写真を撮って来た。石巻では有名になった鯨の缶詰のタンクも見たし、気仙沼では街中にいまだに鎮座しているタンカーのような巨大漁船の写真も撮った。それぞれの街がなんとか元に戻ろうとしていたけれど、高田だけはそれ以前の問題だった。無事な場所がまったくどこにもなかった。ほとんどの人が亡くなり、街のすべてがなくなった。ほとんどなにも残っていないのだ。他の街はまだ無事な場所があったがこの街だけが全滅だった。川をさかのぼると10キロほど離れた場所にもボートが流れ着いていた。
石巻
気仙沼
何が出来るだろうとずっと考えていた。不謹慎だとか、地元の住民の人がどう思うかとか、かえって迷惑になるんじゃないかとか考えていた自分が恥ずかしかった。早く来ればよかったのである。でもそうはできなかった。十分な蓄えがなければ人助けなんか出来ないのである。そのことを痛感した。でもなにもできなくても少なくとも来ることぐらいは出来たろう。行って見てみなければ始まらない。そう思ってここに来た。見てみて正解だったと思う。それまでどこかで他人事だったニュースは具体的な感覚としてみて来た風景とリンクし、迫力のない映画のワンシーンのようにしか見えなかった津波の画像は、それ以降はその実際の破壊力とスピードを具体的な実感をともなって感じることが出来るようになった。
気仙沼のタンカーは実際見てみて初めて「あっ」と思った。そこにあり得ないものが存在するのを見て初めて僕はこの街で起こったことを想像することが出来たのである。地元の人にとっては思い出したくもないことだろうし、つらい記憶なのだろうが、流された巨大な漂着物は出来ればそのままにしておいてほしいと思った。それがそこになければ、かつてそこで起こったことなどすぐに忘れてしまう。今回の地震はその時日本にいなかった僕にとっては、どこか架空のお話のようにも聞こえていた。だからせめてひとりでも多くの人々が見られるようにしばらくはそこに残しておいてほしいと思った。
さて何が出来るだろう。今、被災地ではボランティアの数が不足している。地震が起こった直後から現地に行って活動を続けている人達もいるが、どうやったって経済的な限界はある。ビジネスモデルを作らなければダメである。きれいごとではない。復興を復興としてだけでなく、新しい町づくり、地域振興、防災、経済発展、福祉、教育、医療などなど、様々なものをひっくるめてデザインして行く必要がある。もはやボランティアでやるレベルをはるかに超えている。でもしかし、古いものがすべてなくなった今、再開発のために障害となるものはほとんどなくなったと考えるべきだろう。後はそれぞれの街に関与する企業や団体などが利益を独占したりすることを防ぐことと、地元の住民と他の地域との連携が必要になって来る。
これはたぶん地元の住民にとっても非常に試される問題であると思うが、今必要なのは正確なデータと、それを定期的に付き合わせることのできる場所だろう。いさかいが起きたってかまわないから、とにかく意見を戦わせることだ。利益がぶつかっている所があるのならそれをまずすべて全員が把握する所からだ。めいめいが勝手なことを言ってかまわない。「誰が」「どう考えているのか」を明確にすべきである。すべてはそこから始まるような気がするのだ。
ここから先は遠慮はいらない。地元民でもよそ者でも自分の意見を言って行くこと。そして僕はそれにすこしでも関わらせてくださいと言うだろう。でもそのためには何をすればいいか。
とりあえず早寝早起きして、自分のことだけはきちんとしようと思うのだ。
soundscape
by itr-y
| 2012-03-06 23:26
| 日常