2012年 04月 10日
雲中霧中 |
3月のベトナム人寿司職人の来日に続き、今度はドイツ人女子の来日である。カリフォルニアとイギリスでの在住経験がある彼女はあいかわらず英語が堪能であったけれど、電話ではその早口さと滑舌の悪さが手伝って一体何を言っているのかまったくわからなかった。でもなんとか準備でバタバタしてたのと機内でほとんど寝れなかったの、ということはわかった。さっそく明日時間があったら会おうよということになった。ちょうどお花見のシーズンというのはちょうど良かった。ひさしぶりの再会だ。
3月4月はけっこうあれこれバタバタしていた。
僕は就職活動で見つけた奇妙な会社の営業職を1週間で辞め、とっとと新しい仕事を探すべくあっちこっちに応募を出していたのだが、ものの2週間ほどで次の仕事が決まってしまった。僕は大学中退だけど、就職難を感じたことはあまりない。たんにラッキーなんだろうけれど、なぜかそれほど困ったことはない。今回の仕事はわりとまともな仕事そうだった。面接の担当者の人からは「ここらで一つ長い職歴をつけられた方が今後のためにもなりますし...」と今後の人生設計までされてしまった。3日前に応募した仕事の面接で将来決められてしまったらたまったものではないが、僕はそんなアドバイスをニコニコ微笑みながら聞き流していた。もう31である。
3月末、ひさしぶりに僕は写真家Yと会い、現在妊娠中の奥さんのお見舞いに病院に行った。以前にベルリンに僕を頼って訪ねて来てくれたKくんの送別会も兼ねていた。Kくんはなんと倍率が高いことで有名なイギリスのワーホリのビザが取れたそうで、2年間むこうに滞在する予定なのだそうである。うらやましい。イギリスに住むなんて家計簿との戦いになるはずだが、彼はあれこれあってもたくましく生きてゆける性格だから、まーなんとかなるんじゃないかと思っている。僕らは病院の廊下で記念写真を撮り、それから奥さんに見送られて飲みに行った。なにを食うかバスの中で迷った挙げ句に自由が丘の焼き肉屋で飲むことにし、それからYの家で話の続きをした。
気の置けない友人と話をするのは安心するものである。ぼくとYとKのYYKであれこれとしょうもない話をし、しょうもなくない話も少しした。僕が始めっからリボ払いになっていた悪徳クレジット会社の話をすると、二人は「まー、でもそれはitrにぜひがんばってほしいね」と白々しくも僕の奮闘ぶりに賛同してくれた。終電近く、二人でKくんを駅まで見送って僕はY氏の家に泊まり、翌日11時までどーんと寝てしまった。人の家で寝るとあまりよく寝れない自分だけれど、なぜか彼の家ではよく寝られる。
それから。それから、ええと何をしたんだっけな。
そう、その前にバイクをヤフオクで買ったんだった。中古品で、エンジンがかからないと言うやつだ。3ヶ月前までかかっていたと言うので、まあちょっと手入れをすれば直るだろうとたかをくくり、試しにやってみたのだが、1回エンジンがかかったっきりそれ以降はウンともスンとも言わなくなってしまった。やれやれ参ったなといいながら、いじるのが楽しくてしょうがない。現在キャブレターを分解清掃中である。たぶんこれで直るはずだと踏んでいるが、これで直らなかったらもうどうしようもねえなと思う。でもやっぱりいじくるのは楽しいのだ。直らなかったら今度は自分が売るまでだ。
まったく何も決めずに事を始めると良くないなあ、とここまで書いてみて思ったけれど、なるべく計画的でない行き当たりばったりの事をしていきたい。基本方針はそう簡単には変わらない。
手元にあった新しいCDをコンポに入れてかけてみる。しょっちゅう針飛びばかりしていたコンポは最近なんだか思い出したように調子がいい。彼もようやく勘を取り戻したみたいだ。CDはドイツから来たその女の子がくれたものだ。彼女が来る前にビザの書類上の身元保証人になったり、あれこれ世話を焼いていたのである。ようやく日本に来れた彼女は前にもまして多弁に早口になっていた。ドイツ語の苦手な僕のために英語で話してくれるのだが、それがまた速いのである。母国語になるとなおさらだ。埃っぽい春の東京を二人で歩き、彼女のノンストップトークに適当に相づちを打ちながらまたどこか別の世界をさまよっていた。フィドルが跳ねる。
不自由で自由な日々は続く。
soundscape
by itr-y
| 2012-04-10 00:17
| 日常