2012年 04月 23日
結露 |
新しい職場は土日でも勤務の日がある。それが特に嫌ではないのは、以前の仕事でも基本的に平日休みだった事と、土日の勤務が特に忙しくないからだ。これは楽でいいやと思いつつも、あんまり長くやってるとダメになりそうな仕事だなと思っている。我ながら落ち着きがないが、これが性分である。でも今の所特に辞める理由はないから良かった。自分で自分にほっとしている。
ヤフオクで下らないガラクタを二束三文で叩き売り、地味に嫌な思い出のある曰く付きの品は110円で買い叩かれた。それでももらってくれる人がいるというのはいい。捨ててしまうのはなんだか悔しいので、人に売りつける事でモノと忌まわしき思い出を供養するのである。
外は雨。こういう日はなんだかほっとする。明日が憂鬱な月曜日だったとしても、雨ならまあ許そう。どうせ今週は水曜までだ。木金と僕は休み、また土日に出勤する。そして他人より少し早い連休を迎える。今まで毎日がゴールデンウィークみたいな暮らしをしていたくせに、働き始めると休みが素直に嬉しい。楽な仕事で、なおかつ時間に余裕があるとなると、何かをしなくてはいけないわけだが、僕はいつだって時間を無駄にする。
寝る時に2月に見て来た被災地の光景を思い出した。酒も飲まない、油ものや甘いものを摂りすぎない、など体にいい食生活を心がけようとしたら夜中、妙に目が冴えてしまい、なんだかいろんな事を考えた。好きだった女や、特に好きでもなかった女。いろんな人達の事と、自分の事。他人と自分を比べては沈み、他人が自分をどう思っているかを勝手に想像しては劣等感や猜疑心にまみれていった。昔、20代初めの頃によく患っていた気分である。ひさしぶりに麻薬に耽溺するように僕は甘美な劣等感のぬかるみに足を取られていた。そしてそれから地震のこととかを考えた。
いろんな人が地震をきっかけにいろんな事を考えた。ふだんチャリティーとかに興味がなくてもそれを契機にいろんな事を始めた。僕の友人にもそう言う人はいた。僕は尊敬と嫉妬が入り交じった複雑な気持ちでそれを見ていた。地震の映像を見て、自分は被災もなんにもしていないのに憂鬱になったり、体の不調を訴えたり、精神的に不安定になったり、ヒステリックになったりする人達もいた。そんな中、僕の多少焦ってはいたけれど、何をすればいいのかよく分からなかった。よく分からないままに一年が過ぎてしまった。
いまだに妙な焦りのようなものは心の中にあって、いち早く動いた友人の行動も相まって僕はなんだか心のずっとずっと奥の方で、結露に濡れたアルミサッシのような部分を抱えている。それはずっとじっとりと湿っていて、なかなか取れない。軸がぶれている事を感じてはいるのだが、何をどうすればいいのかがわからない。つまり今まで通りの自分だ。
もっと馬車馬のように働かせてほしいとも思う。そして誰かの胸の中で泥のように眠りたいと思う。雨の夜は本当はしらふでなんかいたくない。
soundscape
by itr-y
| 2012-04-23 00:31
| 日常