2012年 10月 03日
郡上 |
このまま夜が明けなければいいのになと思う。虫の声を聴きながら、夜明け前のつかの間の静寂の中では耳を澄ます。湾岸線の車の音が遠くで聞こえる。夜の風は暑くもなく冷たくもなく、ただ静かに時折カーテンを揺らす。隣や上の階の住人の物音もしない。夜中に地震があり、僕は意識の底の方でその揺れを感じる。突然、大きく揺れ始めることをイメージしながら、それでも揺れは小さく僕らを揺さぶり続け、やがてつまらないと感じたらしく去って行った。
左の耳はおとといからずっと手で押さえつけたような、くぐもった音が聞こえている。始めはあの河原でキャンプしていた時の水の音が残っているのだろうかとも思ったがどうもそうではないみたいだと気づいた時、すこし気分が重くなった。どう考えてもストレスだった。そうか。やはりストレスを感じていたのだ。自分がそれほど馬鹿ではないのだと言うことに気づいた時、僕はなかば自虐的に皮肉っぽい笑いを浮かべていた。煙草が欲しいなと思った。
せっかくの3連休を無駄にはするまいと、僕は台風を避けとにかく南の方に逃げ、ずっと行ってみたかった場所に一人で出かけた。バイクが直ってればそれが一番いいのだが、あいかわらず原因不明の不調が続いている。僕はバイクをとっととあきらめて電車で出かけた。行った所はほとんど観光地であった。それでも豊かな自然のおかげで、それほど気にならなかった。清廉な川の流れと美しい魚の姿はそれだけでうれしい気分にさせてくれた。
実はずっと行ってみたかった場所でもあった。
ずっと昔に釣り雑誌でも取り上げられていた所だった。温泉街というわけでもないのだけれど、古い街並と日本家屋が地元の振興会によって保存されていて、街並が美しかった。なにより古い個人商店がそのまま残っているというのがすばらしかった。僕はそれだけでなんだか嬉しくなってしまったので、とくに観光地化されている所があってもそれほどどうこう思わなかった。
欲を言えばやはり車かバイクなど、足を持っていないとちょっとつらい所があった。キャンプサイトも出来れば河原がよかったが、まあ川の近くの公園で良しとした。電車と徒歩なのである。わがままは言わない。
一晩、泊まってから僕は川に向かい釣りをした。すごくひさしぶりの川釣りだった。なかなか感覚が戻らずに苦労したけれど、なんとか思い出すことが出来た。ボウズではなかったものの、残念ながらお目当てのアマゴは釣れず、もう早くも婚姻色の出始めたウグイしかつれなかった。ウグイの引きもひさしぶりだったけれど、釣り上げた魚はどれも美しかった。中流、下流域の濁った目をした魚とは違っていた。
昼過ぎまで粘ったものの結局アマゴを釣り上げることは出来ず、僕はあきらめて帰ることにした。昼過ぎには帰り支度を始めないと、キャンプの撤収とか、お土産買って一服するとかが出来なくなってしまうのだ。そもそも家から新幹線と地元の路線を使わないと来れない場所である。地元の新しく出来たカフェによってちょっと話を聞いてみた。やはり、この街では昔からそういう歴史的建造物などを保存しているようで、それで昔の家などもそのまま残っているらしい。あたらしく始まったそのお店もそうした活動の一環として、テナント貸しの古い日本家屋で営業を始めたのだそうである。父親の地元もそうだけれど、そうした地方の復活みたいな動きがあちこちで出はじめていて、非常に嬉しい限りである。Facebookのページがあるかどうか尋ねてみたらまだないとのことだったので、激しく作るのを薦めておいた。カフェなんて新しい人が集まる場所だからFacebookとすごく相性がいいはずである。ぜひがんばってくださいと言って、僕はその店を後にした。
結果的にはいい気分転換になったのだろうか。まあ、街に帰って来てから僕はまた別の問題でストレスをぶり返してしまうのだけれど、それでも世界はやはり広くて、この国はまだまだ美しい所がたくさんあるのだとあらためて思った。また来よう。そうしよう。
by itr-y
| 2012-10-03 01:02
| 日常