2012年 12月 07日
かわらないさ |
今日の仕事は出だしそれほど忙しくなかったのだが、終わりがけにどどっとラッシュが来て多少足をもつれさせながら終わって行った。それでも日中帯はわりとヒマで、同僚達はパチンコの話に華を咲かせていた。
僕はパチンコをやらない。そもそも賭け事をやらない。賭け事にはルールがあって、それを覚えるには少々練習が必要だ。練習とはいえ勝負事である。そもそもじゃんけんから腕相撲まで、誰かと勝負をするとたいがい負けてしまう僕は、あらゆるカードゲームやテレビゲームやその他のものに才覚の片鱗を見せることすらなく、練習の最初の何回かで負け、たいがいいつも「こんなのつまんないや」とまるでのび太のようにほっぽり出していた。今日の仕事のない間、同僚たちはよくしゃべった。よくもまあパチンコやスロットのことでこんなにも長いことしゃべり続けられるもんだと思った。そして賭ける金額も3万だの4万だのと、僕にとってはとんでもない金額をやり取りしていた。みんな年齢的にも若い。その日のメンツはよくよく考えてみたら20代の子達ばかりで、それでも仕事上は先輩であり、その日の監督役であり上司もいた。
日頃、年齢の差などは感じない。別に年下でも自分より仕事ができるし尊敬もしている。自分に出来ないことが出来る人は単純に尊敬する。そういったところで特に年下の人につくのが嫌なわけではなかった。むしろ頭の回転の速さや、そつのなさに感心したりしていた。
彼らがパチンコの話をする間、僕は一人で仕事のテキストを読んだりして暇をつぶしていた。
帰りがけ、その日のリーダーの一人が給与明細を開いていた。うちの職場はみんなそれぞれの派遣元があり、それぞれの会社から派遣されている。そんなにたいして大きな職場でもないんだが、なぜかそんなシステムになっている。彼が給与明細を見ながら言う。「厚生年金やらなんやらでPCが買えそうなくらい引かれてますよ」。それを聞いて、天引きの金額でPCを買えるほどの給与をもらっているのか、いいなあ、とみんながわいわい騒いだ。IT関係の業界というのは末端でもそれなりに給与は出る。ハードな現場で働いている人もたくさんいるが、我々の職場はどちらかと言うとニッチな職場で、中間マージンをあっちこっちでとられても人並みの給与以上は出ている方なのではないかと思われた。それならそう言うこともあるだろう。しかし彼は、先ほどの会話の中で4万負けた別の正社員の話をし、あの人あの金額を毎月負けたとかなんとか言ってるんだからそうとうもらってるよなああの人、とぼやいてみせた。
賞与やそれ以外の福利厚生以外の点では手取りの額なんて正社員と派遣とでそうそう変わるわけはないと思うが、彼の中ではそう言うことになったらしい。かく言う彼も派遣社員かあるいは準社員なのだと思うが、それでも先月新車でプリウスを買っていた。
僕は自分の職場なのに、なんとも世界が違う感じを受けながら日々暮らしている。若い人もそうでない人もいる職場だが、話している内容が貧乏ななんちゃってアーティストだらけのベルリンにいた頃と比べると、はるかに別世界の感じだ。みんなみんな果てしなく豊かで、そのことに対してあまり実感がない。車を買い、新しいスマホを使い、居酒屋に飲みに出かけ、興が乗ると風俗店に入り女の乳房の間に顔をうずめたりしている。車を持つのが当たり前なのがこの国だが、それでも昨今の不景気のことを考えると、今の職場はどこかやはり隔世の感はある。
その話を聞いて僕はぼそっと「以前よりはるかに取られるようになりましたよね」と言った。そして「ちゃんと投票しないとそう言うこと勝手にどんどん決められちゃいますよ」と言った。説教じみた物言いだったかもしれない。しかし、きちんと自分の指示する考えの政治家を選ばない限りは、どんどんそうなってしまう。何の気無しに言った言葉だった。すると彼はこう言った。「投票なんてしたって変わるわけないですよ。だって国の借金が何兆円とあるんですよ。もう完全に腐りきってます。終わってますよ、この国」と言った。僕はそれには答えず困ったような顔をして笑っていた。
まったく同じことを僕は考えていた。ずいぶん昔の話である。でもしかし自分の場合はきちんとそれでも投票に行っていた。とくに何かを変えようと思っていたわけじゃない。もともとそんなに使命感もない。投票に行きそびれたこともある。でも行ける時はきちんと行っていた。少し奇妙に思うことは、ここにいる職場の人間もそうなのだが、今の若い人達がわりと僕らの若い頃とそれほど変わらない考え方をしているということだろうか。
「何をしたって無駄だよ」というのは、金八先生の頃から若者の基本スタンスで、今も昔も大して変わっていないように見える。しかしその価値観の強靭さは(というふうに表現するのもおかしいかもしれないが)相当のものがある。がっちりと根を生やして動かない草のように、その考えは彼らの脊索の中に根をおろし、他の考えの介在を許さない。
僕は彼の発言そのものがこの国のあり方そのもののように思えた。彼らは自分たち自身が何を隠そうほかならぬ「国」なのであるということをまるで理解していなかった。嫌だと思えば、「嫌だ」と声を上げることだって出来るのである。嫌なことを「嫌だ」と言わないのは死んでいるのも同じことだが、なまじ嫌なことを我慢してそれなりに生きて来れて、毎月月給をもらえて、新車を購入して、毎週どこかで飲めるのであれば、その生き方が「間違っている」だなんて意識は決して持たないだろう。「給料は嫌な人間といるためのガマン代」なんていう言葉もあるが、その言葉はこの国の豊かさとは裏腹に本当に貧しい。それで世界一の自殺率の理由を探しているのだから、どこから何を言えばいいものかわからない。若いうちにそういう言葉が言えるのは親の手厚い庇護のもと育ったから、そしてそのままどこかに潜り込めたからそのまま傲慢で居続けられるのである。
僕は幸か不幸か途中で人生を踏み外していたので、今の状態がとても恵まれていることを知っている。そして同時にとても間違った所にいて、まちがったことをやっているという意識もある。だから、矛盾するようではあっても原発のデモに参加したりしてバランスを取っていた。そうでもしないとおかしくなりそうだった。
こんな状態にあってなお、この国の中での温度差は激しい。
システムからはじき出された者と、その中で生きる者たちとの差が。それはまるで食われる仲間を見て自分でなくて良かったと思いながら遠巻きに見ているシマウマの群れのようでもある。
僕はかれらのそんな発言を聞いてあの地震で東北だけでなく、日本全体が飲み込まれてしまえばよかったんだ、と本気で考えた。家族や友人も死んだシナリオもあったかもしれない。もっとひどい放射能汚染が各地で起こったかもしれない。でもしかし、それくらいのインパクトがなければ、おそらく温室で育った彼らの意識は変わらない。搾取され続ける。コントロールしやすい人間が増え続けるのだろう。住んでいる人間全員が責任意識に欠けているのである。そんな国、政府自身もそうならないわけがない。
僕はたぶん投票に行くだろう。
「またどうせなにもかわらないさ」
そうつぶやきながらも。
by itr-y
| 2012-12-07 00:12
| 日常