2013年 01月 19日
雪とガソリン |
年が明けてからいろんなことがあった。ここのブログを初めてはやもう6年が経ったわけだが、当然のことながらその間に年もとった。それまで問題にならなかったようなことが問題になりつつあり、世代は移り変わろうとしている。そんなことがここ10年の間に自分の身に起ころうとは思いも寄らなかった。
ここに何かを書くとき、僕はいつもなにを書こうかとかは考えないようにしている。筆が進まないからだ。進んだ所で書けるものなどたかがしれているのだが、それでも何も書かないよりは書いた方が精神衛生上よろしいみたいである。しかし、ここ一年の間は以前ほど書かなくなって来ていることもあってか、すこし気持ちのどこかが落ち着かなかった。手持ちのRICHOのGR2が故障してしまったことも手伝って、さらにブログから遠ざかりつつあった。
それと呼応するように机の上にはまだ帳簿につけていない領収証やレシートがたまっている。早く家計簿につけてすっきりしたいのだが、これがなかなか手につかない。ふつうなら家計簿というのは毎日付けるものだろうし、そうでなくても毎週くらいのペースでつけるべきだろう。僕の場合、収支の計算を細かくしているわけではなくて、ただ単に使った分を記録しているだけなので楽なはずなのだが、それでもほったらかしにされっぱなしだ。怠け癖がどんどん悪化しているような気がする。書かなきゃいけない手紙も、やらなければいけない手続きも山積している。
年が明けてすぐに僕は父の元実家へと向かった。そこには父の実家の家屋敷があるのだが、家を購入してくれた人がお正月こちらに遊びに来ませんかと招待してくれていたのだ。ふつうなら売ったらもう後はさようならというのがふつうだろうけれど、父の実家を買ってくれた人は古い古民家を使って、そこでレストランを経営したいと言う若い人で、新しいことをはじめる気概にあふれていた。そして周囲の人々に対して常にオープンだった。せっかくの歴史ある建築物をダメにしてはいけないと、リフォームに関しても基本的に基礎や土台をしっかりと補修して行く方向で検討してくれていた。
新しい人々に沢山出会った。その町が進めていた町おこしの流れで新しい人達が移り住んでいた。地元の人達もたくさん出会った。アンタのじいさんに世話になった。名前をつけてもらった、と昔の話をたくさん聞いた。初めて聞く話もたくさんあった。僕は自分の先祖達の生き方に呆れたり、驚いたりしていた。初めて知ることがたくさんあった。古い山も川もあいかわらずそこにあった。
帰って来てしばらく経ってからだった。あるていど予期してはいたことだったが、心配していたことがついに現実のものとなった。その日は休みで、僕はその時バイクの整備をしていた。父親が来て手短かに用件を告げると、母を迎えにゆくと言い駐車場の方に歩いて行った。僕はその場にしばらく立っていて、どういうことなのかを考えていた。なかなか外れないクラブマンのキャブレターをエンジンとエアクリの隙間からなんとか引っ張りだそうとしていた。体の力がなんとなく抜けてゆくような気がした。もう相当寒くなっていたけれど作業をやめたくはなかった。これを外さなきゃいけない。そんな簡単なことすらできないのか、とだれかに言われているような気がしたからだ。
やがて父と母が車で帰って来た。母は少し疲れような顔をしていた。そして心配そうな顔を見せて力なく笑うと、これから買い物に行って来るからねと言った。僕は去ってゆく車を見届けると作業の仕上げに戻った。
冬にしては比較的あたたかい日暮れだった。そのしかし後には雪が降った。とても寒い季節が来たのだ。とても寒くて、気がついたら鼻水が垂れているような。僕は手を洗おうと思った。ガソリンと油で汚れた手を洗おうと思った。あたたかいお湯と石鹸水で。寒い季節は来るのだ。だから準備をしなくちゃいけない。冬を越すための準備を。
by itr-y
| 2013-01-19 03:05
| 日常