2013年 02月 12日
白いハンチング |
くぬぎ山という駅で降りるのは初めてだった。そもそも武蔵野線に乗って西船橋よりも北に向かうことなんてそれまでほとんどなかったと思う。初めて新八柱の駅で降り、そこから新京成に乗り換えた。
用事が済むと大抵の場合ぼくはそこの駅からちょっと遠くの駅まで歩くクセがある。もしも腹が減っていたら、ぱっと見つけたラーメン屋に飛び込むようにしている。その日は特に腹も減っていなかったので、そのままくぬぎ山から東松戸まで歩いた。JRの駅があるからそこそこ大きな街なのだろうと思ったら、本当に何もなかった。思えばそこに行くまでの道すがらも、ほとんど畑と雑木林と住宅街だった。いかにも千葉な感じが心地よかった。埃っぽい道も、すすけた垣根も、取り壊し損ねた古い家屋も、昭和がそこかしこにこびりついている。何も起こらなければ、そんなに簡単に街並は変わらないのだ。
昨夜はひさしぶりに都内に住んでいる健全な勤め人のA君と、放浪写真家Kの3人が集い、地元の近くの中華屋で食事をした。新興住宅地である近所にふらっと入れる中華屋が出来たということにも驚きだが、値段も安いしそこそこ美味しくはあるので、僕はなにかとそこに通っている。ひとりで食べる時もあるけれど、やっぱり3人くらいで食べた方が中華は美味しい。中国人の店長が何気に気の利く人で、待っている人達にお茶を配ったり、取り皿をささっと持って来たり対応が日本人っぽい。たぶん日本歴長いんじゃないかと3人で話した。
ひさしぶりのしあわせな外食にKは満足し、今度は閉店間際のコーヒーショップに入り、閉店までだべっていた。
次の仕事を探しているという話をした。くぬぎ山に行ったのもそのひとつだった。働く場所はそこにはならないだろうが、しかし第一志望の職場であった。もしもそこでの仕事が決まればずいぶんと助かる。しかし心のどこかであまり期待しすぎないようにしようとしている自分もいた。明日もまた別の仕事の面接がある。たぶんこうしてあっちこっちふらふらし続けるしかないんだろう。最近特にそう思うようになった。
父の実家から持ち帰って来た古いアルバムの中から僕は古い写真を見つけた。白いふちの入ったカラー写真。おそらくは87年くらいだろうか。父と母と祖父、そして姉弟が写っている。四国の八十八カ所の神社のうちのひとつに家族で行った時の写真だ。僕はキャップをかぶり祖父と母の間に座っている。僕はそれを100円ショップで買って来たフレームに入れて机に飾った。写真立てに入れると、写真はぐっとその生命力を増す。僕はじっと見ているうちに、当時のその場所のことを鮮明に思い出してきつつあった。かき氷を買ってもらったのにそっくりこぼしてしまい、イチゴシロップのかわりに母の食べていたみぞれをわけてもらったこと。台のうえから瓦を投げたこと。徳島の市内で焼き餅を食べに行ったこと。
祖父は杖を持ち、白いハンチング帽をかぶりどこかあさっての方向を見ている。なんとなくそれが笑えた。
「じいちゃん悪いね、まだフラフラしてばっかりだよ」
僕はそんなことを心の中でつぶやいた。
こうやって時々語りかけるのも、なかなか悪いもんじゃないなと思う。ハンチング帽だって、なかなか悪くないんじゃないかと最近思う。
by itr-y
| 2013-02-12 01:50
| 日常