2013年 05月 30日
夏が来る |
映画を見ている最中に急におなかが痛くなった。水曜。レイトショー。右手の座席も左の座席も空いている。お客は3人だけ。後ろの左手側にカップルが座っている。
キャラメルのポップコーンなんてそんなに食べたいわけじゃなかったのに、安くもないそれをぽりぽりかじっていたら、途中で腹痛を感じた。退屈な映画だった。退屈な映画というのを観たのはひさしぶりだった。腹痛と夜勤明けの疲れで僕は顔をしかめながらうとうとし始めた。腹痛に耐えているのか、それとも睡魔に身を委ねているのか判然としなかった。最後のシーンも見なかった。
長い間何かを書こうと思っていたのだけれど、毎日が慌ただしく過ぎてゆき、ただただノルマをこなすだけの日々になってしまっていた。あいかわらず自分ルールが多いせいだろうか。それでも自分なりにリズムを見つけて生活をしていた5月だった。夜勤と日勤をくり返す日々は続いているが、それほど悪いとは思わなくなって来た。どんな生活にもメリットはあるのである。しかし、ひょっとしたら比較的時間の制約の少ない今の仕事の合間合間にいろんなものを詰め込みすぎていたのかもしれない。夜の鉄鋼団地を自転車で走り、時折信号で停まるとふうと深い息を吐いた。
つまらないことが増えている中で僕はいかにもつまらなそうな顔をしていた。あいかわらず世界は退屈だった。どこかで「世界は退屈じゃない、あなたが退屈な人間なのだ」というような文句を見かけたことがあるが、僕はたぶん今それに反論できる。ちがう。絶対に世界の方が退屈だと。
そんな中、何日か前に僕はまた東京都の奥の方まで釣りに行っていた。つまらない世の中で唯一面白いのは自然に戻ることしかない。川が流れて、木が生えてて、鳥が鳴き、葉が茂る山はとても当たり前だった。当たり前なことはすばらしい。風の匂いに含まれたたくさんの何かが意識を取り戻させた。僕はあいかわらず誰かが作ったルールなんか理解できなかったし(それでも前よりは理解できるようにはなったが)、誰かの時間に意味もなく付き合うことは苦痛でしかなかった。30を過ぎたけれど、人の性格ってやっぱりまったく変わらないんだなあと思った。人間の多すぎる世界のちょっと向こう側では、虫やけものや植物が彼らの世界で生きていた。彼らはこんなに完全なのに、なんで人間は自分たちが生み出した不完全なものの中に浸かって生きているのだろう。木漏れ日の中で自分で弁当用に作って来たいなりずしを食べながら考えた。
窓を開けている。換気扇の音が聞こえる。
夏が来る。
by itr-y
| 2013-05-30 00:40
| 日常