2006年 11月 05日
サンドイッチマン |
あんまり天気がよかったので昨日のサラダの残りとハムの切れっ端を使ってサンドイッチを作って出かけた。
サンドイッチと言うのが正しいのか、ちょっと気取ってサンドウィッチと言うのが正しいのかとか、そんなことを考えながら走る。
本当言うとやる事が一杯あったのだけれど、こんな天気にいい日に家にいるなんて罰当たりな気がしたのだ。
「そうだそうだあ!罰当たりだあ!」
ぼそぼそと呟きながら自転車を漕ぐ。
本格的に危ない人である。
途中、自販機で缶コーヒーを買って再び海の方へ行く。
遠くの方で霞がかかっていて風がほとんどない。
東京湾がぽっかり高気圧に包まれているみたいに、周囲には大きな雲が広がっている。
なんだか全体的に
「ぼやん」
としている。
絶好の行楽日和だ。
特に行楽に行く予定もない僕は防波堤の端にどっかと腰を下ろし、持って来たサンドイッチ、じゃないサンドウィッチを食べた。
サンドウィッチの出来はまあまあで、カリッと焼いたトーストが美味かった。
入れすぎたマヨネーズが端から垂れてきて手がべとべとになってしまったけれど、レタスの水気でぐしょりとなる事もなく、きちんとサンドウィッチとしての体裁を保っていた。
しかし若干味気なかったので、次回からは薄切りオニオンとかマスタードとか、ピリッとした味が欲しいなと思った。
ソースにも気を配ってみるのもいいかもしれない。
昔々、僕がまだ幼稚園児だった頃。
お弁当の時間になるとみんな家から持って来たお弁当を広げるのだが、なかには手の凝ったサンドウィッチ弁当なんてものを持ってくる子もいた。
僕はそんなカラフルでいかにも西洋風なお弁当がうらやましくてうらやましくて仕方なかった。
しかし僕のお弁当はなんだか茶色と黒がベースの純和風弁当だった。
いや純和風じゃないな。
煮物とかおにぎりとか。
要は間に合わせのお弁当。
ある日僕は母に「僕もサンドウィッチがいい」と頼んでみた。
すると翌日きちんと母親はサンドウィッチ弁当を作ってくれた。
僕は喜んでそいつを幼稚園に持っていった。
しかし開けてみるとそれは食パンの間にイチゴジャムが挟まれただけの何とも味気ないサンドウィッチだった。
僕は
「なんかちがうんだよな...」
と思いつつもそのジャムサンドをはむはむ食べた。
いかんせん幼稚園児なので何か違うとわかっていてもそれが何なのかわからない。
そして悲しきかな、ジャムの誘惑には抗えなかった。
その後、母親のあるかなきかの弁当バリエーションの中にそのジャムサンドはしばらく君臨することになる。
僕はその後海外に行って、アメリカの学校では食パンにピーナッツバターを塗って挟んだだけの超お手軽サンドウィッチがある事を知って驚愕するのだが、アメリカ人の場合料理をする人としない人の間にものすごい落差があって、おいしいサンドウィッチを作れる人はごく少数である。
料理が出来る人と出来ない人、しない人の割合というのは、だいたいどこでも似たようなものらしい。
ぼやんとした空の下で、そんな我がサンドウィッチ遍歴に想いを馳せながら、予定のない休日は不思議な充足感とともに終わっていったのだった。
by itr-y
| 2006-11-05 18:19
| 日常