2006年 12月 10日
たらこのうた |
普段あまりテレビを見ないのでこの歌のことは知らなかったのだけれど、スーパーかなにかでかかっていたのを聴いて、ようやくどこかで読んだこの歌の歌詞の節回しがわかった。
なるほどなるほど
こいつはなかなか耳について離れないメロディーだ。
「世の中には大嫌いだけれど耳について離れないポップソングってやつがある。俺たちの音楽もそうしたポップソングのフォーマットを踏襲していてね...」
そういったのはニルヴァーナのカート・コバーンだったけれど、どんな曲にもある程度のキャッチーさというのは必要である。
この曲の半音ずつ下がってゆくコード進行は、なかなか玄人な感じの編曲だ。
悩ましげなメロディーとへんてこな歌詞がなんとも絶妙な雰囲気を醸し出している。
好きでもなんでもない曲が耳については慣れないまま無限ループ状態になってしまった人は多いと思うが、実はこれ、曲を作る側が先にそういう無限ループなっているのだ。
曲づくりをする時に、ひとつのコード進行に対して作曲者は色々なメロディーをあてはめてゆく。
それは歌詞によって変わってくるもので、一番印象的で唄いやすいメロディーにする必要がある。
そんな時、いろいろなメロディーを考えていくうちに、何度も何度も同じところを選んで通ってしまうことがよくある。
ふんふんふふんふ〜ん....
なんて鼻歌を歌いながらやっていると、何度も同じメロディーが出て来てしまうのである。
「ちがうちがう。こんなんじゃない。」
「もっと何かこうカッコいいやつを....」
とかなんとか言っているとまた
ふんふんふんふふ〜ん
同じメロディ−が出てくる。
何度やっても出てくる。
「ちげえよ!こんなんじゃねえよ!!もっと何かこう...」
「ふんふんふふんふ〜ん.......」
「だあああっっッッッッ!!!!!!!!!!!!!」
こうなるともうダメだ。
何をやってもそいつが出てくるのである。
苦しい。
この無限ループから抜け出したい。
助けてくれ。
そこから抜け出す方法はただひとつ。
もうそのメロディーで作っちゃうことだ。
どんなお馬鹿なメロディーでも、どんなアホな歌詞でも、何度も繰り返してしまうということは、ある意味
「名曲」
なのだ。
こうして作曲者の中でループを繰り返していたメロディは、宿主の中から孵化して成虫となり、外の世界に羽ばたいてゆく。
最初に寄生されていた宿主はようやくその苦しみから解放されて楽になる。
そしてその代わりにそのメロディーは実体を持った遺伝子として、あちこちの意識の中に潜り込む。
聴いた人の意識の中で根を生やし、根をはってゆく。
良くも悪しくも、こういうのが名曲という訳である。
何とも不思議な話だが、そういうもんなのである。
だから今頃、この「たらこのうた」の作者の人はそうとう気楽に生きているはずだ。
これだけのメロディーから解放されたんだから。
そして僕らの頭の中に根付いた「たらこのうた」は、体の中で意識のワタを食い破り、精神を侵してゆく。
口をついて出てしまうまで。
それは外に出さない限りとまらない。
その寿命が来るまで宿主の中でループしてゆく。
た〜らこ〜
た〜らこ〜
by itr-y
| 2006-12-10 18:12
| 音楽