2006年 12月 23日
そんなつもりじゃないんだ |
「お前がいうと冗談に聴こえないんだよ」
笑いながら煙を吐き出すと、友人の写真家Kはそう言った。
地元民による、あまり色気のない飲み会がはけた後、僕ら二人は公園のベンチでこの間のライブの話をしていた。
以前のライブに来てくれていたKは、僕の曲間のMCについてそう言ったのだった。
「そうか...」
以前のライブで、僕は僕の前に演奏した共演者に対して、少しコメントをしたのだ。
その時にふと何気なく、軽いジョークのつもりでいった発言がそうとう顰蹙をかったのだった。
一瞬にして店の空気が凍りつき、客のほとんどが表情をこわばらせた。
店の人がグラスを磨く手を止めた。
マズい
さすがに空気読めないことにかけては免許皆伝の腕前の僕でも、この時ばかりは焦った。
しどろもどろになりながらも
「いや......でもあの........あの曲はよかったです......。僕もスゴい好きです.............ハハ.......。」
と言った。
もう何を言っても無駄だった。
僕はいっそ殺してくれというような気分で、まだあと5曲もあるステージを胃腸を引きつらせながらこなした。
昔っから間の悪い人間であったけれど、その上さらに誤解と語弊を招く発言が僕はかなり多い。
いつもいつも気をつけないといけないな、とは思っているのだけれど、そんなことは気をつけててもいつかは忘れてしまうもんである。
気をつけて、気をつけて、神経をすり減らすくらい気をつけていて、僕はようやく普通の人と同じくらいの感じになる。
そうしないことには本当のことを遠慮なくズバズバ言ってしまう。
要らないことばかりを最悪なタイミングで口走る。
口を開けば必ずそうなる。
なので普段僕は相当無口である。
こと日本人はコミュニケーション能力がとても低いと言われているけれど、僕は特に日本人の、そして同世代の、そしてもうすでに出来上がっているコミュニティに対してコミュニケイトするのがとても苦手だ。
どうやってもその輪の中に入っていけない。
別にいじめられていたりとかそういうわけじゃないんだけれど、ノリとか、価値観とか、雰囲気とか、
すべての要素が違っているのだ。
まるで磁石の同じ極が反発しあうように、ふわりと自然にその輪の中から弾かれる。
まるでウサギの群れの中に迷い込んだカエルみたいな感じなのだ。
しかし同世代の人間とはぎこちない会話が、お年寄りや子ども、あるいは少し年配の人だったりするとけっこう弾んだりする。
これは一体なんなんだろう。
人に誤解されたり、そのことによって嫌われたりすることはとても悲しいけれど、僕はそんなことがあるたびに
「なんでそんなことで!?」
と反対に腹を立てたりしていた。
相手の度量の狭さに驚き、失望した。
相当傲慢な人間だと思うが、こればかりはいくら矯正した所で、僕の核の部分がそう思っているのでどうしようもない。
態度とか節度とかよりも先に体が反応している。
本人がそんな感じなので、これはもう大半の人が匙を投げる。
「こいつとはあんまり関わらないようにしよう」
「あんまり喋らないようにしよう」
「こういうやつなんだ」
被害妄想ではなく、本当にそう考えているのがひしひしと伝わってくる。
無神経な割に神経質なのである。
それでも人前で演奏する機会が増える度に僕はそれなりにそうした事を気にしないようにはなって来た。
もう自分はそうやってまわりの顰蹙を買って、数少ない心ある人々のお情けの中で生き続けていくしかないんだろうなと思った。
とても悲しいことだけれど、最近ことにそういったことを感じてしまうのだ。
なんだかぐったりとくたびれた気分になっていた。
僕だってそんなに人とのコミュニケーションに幻想は抱いていないけれど、それでも何かをわかりあう以前に、「何事もないようにする」というのがこれほどまでに苦痛だとは思わなかった。
そんなやりとりに僕は何も見いだしてはいなかったし、ほとんど無意味だと思っている。
馴れ合いと戯れ合いを嫌った末に僕は何を得たのだろう。
今になって僕はおとなしく周りの人がするようにしておけばよかったのかもかもしれないなと、少し後悔もしている。
しかし僕の中心部分は頑にその拳を握りしめている。
知った事か。
by itr-y
| 2006-12-23 17:11
| 日常