2007年 01月 14日
目論見 |
思いつきで作ったクッキーは、思いのほか上手にでき、自分でもなかなか納得の出来であった。
作った生地をオーブンに入れて焼くと、部屋中にバターの臭いが充満した。
きっと油の微粒子が家中に拡散しているに違いない。
慌てて換気扇のスイッチを「強」に入れた。
出来上がったクッキーを100円ショップで買ってきた袋に入れて完成。
6つほど作ったその包みをザックに放り込んで僕は出かけた。
今日は久しぶり...でもない地元民の飲み会があり、そこに行くことになっていたのだ。
そう。
僕はそこに手作りクッキーを持ってゆき、みんなに食してもらおうと考えていたのである。
そこでおいしいクッキーを食べてもらい、自分の株を上げようという魂胆だったのである。
「料理の出来る男」
「お菓子も作れる男」
カッコいい。
(たぶん)
これと同じ事を女の人がやろうとすると、そうとう下心がありそうに思えるわけだが、なぜかこれが男だとそうでもないわけである。
持っていったクッキーはおおむね好評で、袋はあっという間に空になった。
「うまいなあ」
「よく作るの?」
等々。
目論見は大成功であったわけである。
何でまたこんな事を突然思いついたのかと言うと、単純にクッキーが食べたかったからの他にもうひとつ理由がある。
それは味の記憶はどんな記憶よりも強いという事だ。
この間、何気なく読んでいた角田光代さんのエッセイ「これからは歩くのだ」の中に「記憶の食卓」という話があった。
角田さんはご自身も料理をよくするのだそうで、基本的に自分で作って自分で食べていたのだそうだが、ある時から自分の作った料理を他人に食べさせるようになったそうだ。
その理由というのが面白かった。
20代も中盤にさしかかったころから同世代の人間に「記憶の変化」が始まった、と角田さんは言う。
物事を覚えるのが困難になって来ただけではなく、記憶する時に自分の先入観や希望的観測までも取り込んでそのまま記憶し、いったん記憶してしまったら最後、それを誰に何と言われようと訂正しない。
角田さんはある時友人に
「アンタはサナダヒロユキが好きだった」
と言われる。
角田さんはそんなことを言った事がまったく記憶にないのだそうだが、その友人は頑として譲らず
「いや、アンタはサナダヒロユキが好きだった。」
と言い張る。
そんなことはどうでもいいのに、友人がそう言い張るのが気に食わない角田さんは、自分は別にサナダヒロユキが好きではないという事を延々と説明し納得させるのだが、数日後その友人はまた同じことを言い始めるのだそうである。
「あんたは面食いなんだから。何たってサナダが好きなんだから。」
今度は逆に角田さんが声をかける。
旅行に行くと言っていた友人が街を歩いていたのだ。
すると友人は
「旅行?そんな事言ってないよ。」
と言う。
「いやアンタはこのあいだ旅行に行くと言っていた」
角田さんも譲らない。
「言った」
「言わない」
そんな事を繰り返す。
そうしたいくつかの記憶違いぐらいならいいけれど、これがあんまり進むと、話題の中にのぼる自分の姿がまるで別の人間になってしまう。
そこで料理なのだと角田さんは言う。
味の記憶というのはとても正確に残るということを角田さんは指摘する。
母の作った御飯や友達から貰ったお弁当の味。
それが美味かろうと不味かろうと、必ずそれはその人の記憶に残る。
これには僕も激しく同意した。
味覚ほど正確なものは無く、その時見た光景や言葉よりも、味の記憶だけは何か別の部署で管理されているらしく、どれだけ時間が経ってもわりと思い出す事が出来るのである。
いつだったか、母親の作ったジャムサンドも、弁当箱の中で白く変色していた味噌ピーナッツの味も僕は正確に憶えている。
味の記憶は偉大だ。
もともと料理は嫌いではなかったけれど、かといってそれほど自分からやるような事も無かった。
単純に必要がなかったからだが、それでもいくつか自分でやってみて気づかされる事は多々ある。
そうした発見も面白いが、なによりも誰かに自分の料理を食べてもらい、その人の記憶に残るためというのもある。
母親は、料理を通して家庭を支配するという話も何かのエッセイで読んだ。
「支配」は行き過ぎだとしても、料理というのがとても強い力を持っているというのは確かで、知らず知らずのうちにその味の下に集うようになるわけだ。
母親の強大な力に太刀打ちできなくても、いくつかのカウンターパンチを打つことくらいは僕にも出来る。
そう考えて時おり僕は料理を作って、ひそかにトレーニングに励むのである。
by itr-y
| 2007-01-14 19:36
| 日常