2007年 01月 26日
歳時記 |
暖冬のおかげで、まだそんなに寒さに凍えるということもないのだけれど、それはそれで淋しいと思ってしまうのだから人間というのは勝手なもんである。
人によって「これが冬だ」とか、「これが夏だ」とかいう基準は恐らく異なるのだろうけれど、その基準というのは一体いつ頃作られるものなのだろう。
やっぱり子どもの頃だろうか。
夏休みや冬休みの時に遊んだ記憶とか、そんな感じなんだろうか。
僕の場合、休み中の記憶というのはあまりなく、学校に通っている頃の通学途中の記憶が多い。
朝起きて「うわっさみっ」とか、「あっつう...」とか、なんだか基本的につらいこととセットになって憶えているようだ。
そういうのってなんだかっちょっと悲しい。
できればもっといい思い出とセットで季節の記憶を憶えておきたいものである。
温暖化のせいで、10年後ぐらいには平均気温が5℃上がるとかいうけれど、いったい10年後にどのくらいの人が今のこの季節の感じを憶えておくことが出来るのだろう。
「あの夏は暑かった」
「あの冬は寒かった」
今の子供達の感じている季節の記憶と、あの時僕らが感じていた季節の記憶の間に、一体どれほどの違いがあるのだろう。
祖父や祖母の世代と、僕らの世代とでは一体どれほどの違いがあるのだろう。
自分たちが晩年を迎える頃にはこの冬も「昔はもっと寒かった」の内に入ることになるのかもしれない。
喉もと過ぎれば熱さを忘れる。
きちんと計測して数値化しておかないことには僕らは季節の感覚さえもしだいに忘れていってしまうのだろうか。
僕らは少なくとも自分達が生きている間に関してしか季節の感覚を知り得ないわけである。
100年間生きて来た木々や、何千年そびえ立って来た山々はそんな季節の変遷をどう受け止めているのだろう。
ひょっとしたらたいして大きなことでもないのかもしれないな。
何となくそんなことを考えた。
by itr-y
| 2007-01-26 23:37
| 日常