2007年 03月 10日
日暮れ 風吹いて |
日が暮れると同時に海からの風が強くなってきて、とてもじゃないけれどじっとしていられなくなった。
寒暖の差が大きいのでこういう時は即時撤退である。
荷物をまとめて自転車にまたがる。
帰り道100円ショップに寄ってルーズリーフ用のファイルを3冊買って帰る。
缶コーヒーの缶を捨て忘れて家まで持って帰って来てしまった。
いつも買うまいとは思っているのだけれど、ついつい買ってしまうのがこの缶コーヒーである。
僕はタバコを吸わないので、これがないと落ち着かない。
困ったもんだ。
最近、フリーソウルのコンピの中に入っているエレン・マキルウェインのギタープレイにはまっていて、何度も繰り返しこのトラックを聴いている。
アコギ一本で弾き語るカナダの女性シンガーソングライターの人なのだけれど、この人の歌声はとても白人とは思えないほどソウルフルである。
アコースティックギターのプレイも一流で、バチバチとうねるようなグルーブを作り出してくる。
本当にクールでソウルフルだ。
ちなみに山崎まさよしの「Fat Mama」なんかは、もろにこのエレンさんの影響を受けて作られている。(というのも本人が自分のラジオでかけていたからなのだが)
アコースティックギターというのは不思議な楽器で、弾く人によってまったく出てくる音が違う。
エレンのようなリズムやグルーブを作り出す人もいれば、奥行きと広がりのある空間を作り出すタイプの人もいる。
さあ何かやってみてくれといって、その人の音楽のタイプがわかるような楽器なのである。
個人的にはカッティングもフィンガースタイルもストロークもなんでもやるけれど、一番好きなのはやっぱり指でぽろぽろと弾くスタイルだ。
カッティングやストロークはギターによって向き不向きがあるのである。
MTVのアンプラグド(全てのアーティストがアコースティックのみで演奏するというコンセプトの番組)なんかでは、ミュージシャンの、より素に近い姿を見ることが出来るので面白い。
その人のすべてが見えてくるのだ。
ある意味逃げ場はない。
自分一人でやっているとなにかとこうした弾き語りでやることが多いのだが、弾き語りほどその日の調子に左右されるものもない。
でもだからこそ面白いのである。
山崎まさよしをはじめ、ベン・ハーパーとかが好きなのはこうした要素もあるんだろう。
自分でも曲を作る時は、それが弾き語りなのかバンドサウンドなのかということをけっこう意識する。
そしてそれは不思議なものでわりあい最初から決まっている。
それをあえて変える時は、展開に煮詰まっている時のことが多い。
そういうものなのだ。
作曲用のギターは一弦が切れたまま壁にぶら下がっている。
「早くあったかくなんねえかなあ」なんて言ってるようにも見える。
煮詰まって焦げ付いた日々のバラードである。
by itr-y
| 2007-03-10 20:45
| 日常