2010年 10月 30日
深緑の瞳 |
風邪をひいたと思っていた。
先週からずっと咳が止まらず、喉も痛かった。でも熱はなかったのできっと喉風邪だろうと思っていた。しかし、これが一週間経っても咳が収まらず、特に夜寝てからがひどくなってきてここの所はまるで喘息のように「フゥーヒィハッッ!!」という感じの深く吸い込むような咳に変わってきて、なにかおかしいなと思い始めた。咳のし過ぎなんだろう。朝起きたら腹筋と胸と喉が痛い日が続いていた。
これは明らかに風邪じゃないなと思い始めた。
いろいろと原因を考えた結果、ハウスダストによるアレルギーなのではないかと推測をつけた。
ひと月の間、間借りしているこの家は以前にもちょっと書いたように公団の住宅みたいな所でとても小さく暗い。そして借りた部屋も一見こざっぱりと片付いていたのだけれど、よくよく見てみるとベッドの下だとか本棚のまわりとか、いろんな所が埃まみれなのである。
掃除機をかけようかとも思ったのだけれど、家主が持って行ったのかそんなものは見当たらなかった。だから今はクイックルワイパーみたいなやつで床を拭ったり、濡れ布巾で床掃除をしたりするくらいなのだが、明らかにそれだけでは足りない気がする。
ドイツの家は外にオープンに造られていないので、布団も干せなければ埃をはたき落とすのも微妙にやりづらい。窓の桟が広すぎて半身を前に乗り出さないとマットもはたけない。一人暮らしだと喜んでいたのもつかの間だった。とんだ落とし穴があったもんである。
どうやらアレルギーデビューしてしまったようなのだ。
日本にいた時にも外国人の知り合いが何人かいたけれど、アレルギー関係の話はけっこう聞いていて、ハウスダストにやられた話とか猫アレルギーの話、食品アレルギーの話も聞いた。どれも日本に来てからなったという話だったのだが、その時は日本が汚いからなんだろうなと思っていた。でもそれはたぶん僕の思い違いで、じっさいは環境が変わったことによるアレルギー反応なのかもしれない。
まあ次の家も見つかり、この家にももう何日もいないのでいいのだが、これをきっかけにこのままハウスダストアレルギーだけ残ってしまったらイヤだな。まあきれい好きにはなりそうではあるが。
この一週間で日本から持ってきた咳止め薬もそこを付いてしまったので、薬局に行ってなにかしらの薬を買うことにした。咳止めシロップを薦めてもらったが、これはまったく効かなかった。ここで何かおかしいなと思うようになったわけだが、病院に行くっていってもいったいどこに行けばいいんだろう。そしていったいどこにかかればいいんだろう。開業医のたくさん入っているメディカルビルの案内板の前で僕は途方に暮れていた。
こういう時は地元民に訊こう、と思い直していつも行っている顔なじみのカフェに行ってそこのイタリア人店主に訊いてみた。いつも女房が行ってるかかりつけの医者がいるからそこに行くといいよと薦められた。こういう時は口コミに限る。
その日は時間がなかったので翌日、ワーホリの保険証を持参して直接病院に行ってみた。ドイツの病院は別に店舗用の建物に入っている訳ではないのでぱっと見普通のアパートの一室のようになっているが、入ってみると普通の病院だった。受付で保険証を出してしばらく待った。
名前を呼ばれて診察室に入る。しばらく待つと華奢な体の30代半ばくらいの女医さんが入ってきた。小さいことに気づかないくらいしゃなりとした存在感のある人だ。そしてすごく美しい。きれいな人というよりも美しいという日本語が似合う感じで、大きな深緑の瞳に聡明で知的で落ち着いた光が宿っている。ドイツ人的なきつい鷲鼻ではなくすらりと形の良い鼻が優しい印象を与えていた。髪は金髪ではなく黒にちかいブルネットで肌の色も少しだけ健康的に日焼けしているような感じで白人っぽくはなかった。短い白衣の下にはすらりとした足にジーンズをはいていた。
「ドイツ語はお話になれます?それとも英語の方が良いかしら?」
「できれば英語の方が...」
僕はそう言いつつもたどたどしいドイツ語で返事をしていた。
僕はこれこれと症状を説明し、ここ一週間の症状と自分自身の見解を述べた。ふんふんと先生は相づちを打ち、僕はその様子にさえもみとれてしまった。でも職業というのは不思議なもので先生の美しさは相手を惑わすようなものではなくて、逆に相手を落ち着かせて頭をクリアにさせてくれるタイプのものだった。世の中にはそう言う人がいるのである。特にお医者さんには多いと思う。
先生のその雰囲気のおかげで僕はわりと話を系統立てて順序よく話すことが出来た。すごいものである。「それじゃあコデインを処方しましょう。コデインはご存知?」と先生は言った。
「コデイン...?ああ!はい!知ってます知ってます」
「それのタブレットを処方するので、毎晩就寝前に服用してください。1日1回でいいです」
まあ確かにコデインを1日3回服用するのはいろいろとまずそうだ。僕の脳内百科事典はくるくると索引を検索して、その副作用に関してもおぼろげに引っ張り出してきた。僕はその足で薬局に行き、薬を処方してもらった。
薬局のお姉さんから「寝る前だけにしてくださいね。これは飲むと倦怠感いうかだるくなってしまう薬なので、日中とか運転する前とかに飲まないでください」ときわめて薬剤師的なお言葉をいただいた。
もちろん飲みませんとも。
ふだんからだるい人間なのにこれ以上けだるくなるとちょっと困る。
かくして初のドイツ病院経験は無事に終わり、あとは早くこの煩わしい症状が治まるのを願うのみなのである。それがこの一週間の出来事。
またなにか理由をつけて先生に会いに行きたいなあと思ってしまった。
soundscape
by itr-y
| 2010-10-30 20:02
| ベルリン