2007年 01月 06日
どんぶりのふた |
ぼんやりと卵とネギをのせたチキンラーメンをすすっていたら、安藤百福氏が亡くなったというニュースが目に入って来た。
なんだか絶妙のタイミングだったので少し驚いた。
そうか亡くなられたのか....。
安藤さんの事をなんで知っているかと言うと、小学館の学年別雑誌だった。
日本の偉人伝みたいなシリーズのマンガがあってその中に安藤さんのカップヌードルのエピソードが載っていたのである。
このシリーズ他にも松下幸三、本田宗一郎、御木本幸吉、伊藤雅俊、など、日本を代表する人達が載っていて、僕は今でもその内容をけっこう覚えている。
しかし今考えても即席麺の開発はとてつもなく偉大だったと思う。
基本的にこれ以降、食品の世界で画期的な発明ってあんまりないような気もする。
他には冷凍食品ぐらいだろうか。
フリーズドライの技術自体はどこの国の文化にもわりとあるけれども、これをきちんと製品化していくとなると結構な苦労があったんじゃないだろうかと思う。
何か新しい事をやろとすると、企業なら必ず嫌がるだろうし、開発資金もバックアップもしてもらえない。
ひどい場合にはあいつは言う事を聞かない、会社にとって不利益にしかならないと見なされるようになる。
どんな企業でもそうした事はあるもので、隠れて製品の開発に取り組まないければいけないなんて事もあるわけだ。
もっとひどければ青色発光ダイオードみたく、その研究成果を取り上げられ、会社のものとされ、金も手柄もすべて奪われる事になる。
いつのころからか日本はそうした開発者達にとってとても住みにくい国となったようにも思う。
こうしたやり方が優れた研究者達を国外に流出させてしまい結局は自分たちの不利益になってしまうのだ。
右翼的な意味合いなどではない、いわゆる「国力」の低下につながる。
だって馬鹿馬鹿しいじゃないか。
自分のやった事が認められないなんて。
この間も似たような事を書いてような気もするけれど、やっぱり今の時代必要なのはお互いに他人のやっている事をきちんと評価するって事なんじゃないかと思う。
そうでなければ僕らははっきり言って生きている意味そのものさえもないと思う。
「自分のため」というのは、単なるファッションでしかない。
かつての偉人達はそうした事をきちんと知っていたのではないのだろうか。
安藤氏のご冥福をお祈りしたい。
by itr-y
| 2007-01-06 18:39
| 日常